の続編です。
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愛する人たちと支え合って
自立・自律をする。
これが私の課題。
そうなると、
相手との距離をどうとるかが
私にとっては難しい課題となる。
付き合い方そのものを
あれこれ考えるよりも、
相手とどういう付き合い方をしたいのか
をはっきりさせないといけないのだろう。
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私は
人と付き合うことが上手くない。
お互い嫌な思いをしないように
失礼な人だと思われないように
自分が話すことに違和感を持たれないように
そういった自分を取り繕うことで
手一杯。
なんでも先回りして考えてしまう。
ただの友達、同僚、知り合い程度なら、
とりあえず
その場さえどうにかすればいいので
それなりに楽しい時間を過ごせる。
何とか取り繕える、
という表現が合ってると思う。
問題は
愛している人との関わりだ。
距離感がわかるなくなるのだ。
愛している人を前にすると、
途端に
失うのが怖い
となってしまう。
極端だ。
だから、
相手の自分への愛を確かめるために
相手を試すことを言ったり、
困らせたりしてしまう。
自分でも自分を
めんどくさいと思う。
友達、同僚、知り合い、
そして愛する人。
人間関係全般に横たわっている
ベースとなる思い。
それは…
一人でいれば、
自分が愛されるように取り繕う必要もない。
愛される自分にならなくても
人に何か言われることもない。
人と関わらなければ、
人から意見されたり指摘されたりしないから自己否定しなくて済む。
人と繋がりたくない
人と繋がることが怖い
という気持ちは、
「私は愛されない」
という思いが
形を変えて出てきているのだ。
人と分かり合えないという事実に直面したくない、向き合いたくない。
人に受け入れられなかったという思いをもうこれ以上したくない。
これがベースとなる気持ちだ。
要するに、
私は人と関わりを持つことで
傷つきたくなかった
ということだ。
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一人でいることが
強く在るつもりでいたが、
それはただ、
自分の身を守ることでしかなかったのだ。
安心安全な鳥籠の中で、
自分が全てを見渡せる範囲で
安住していたい。
本当はみんなと繋がりたいという
強い気持ちを心の奥に隠しながら…
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「どんな人とも仲良く」
これが正論だという一般的な概念が
浮かぶ。
どんな人とも仲良くできない自分は
ダメだ、と思っていたんだと、
そう気づく。
私が生きていく上では、
誰とでも
仲良くする必要はない。
ただ、
どんな人とも、
私は愛されない
ではなく、
私は愛されている
という思いからの
心地よい距離感を
取れるようになりたい。
私は愛されない
という思いを、
私は愛されている
に変えていくには
どうしたらいいんだろう。
まだ模索は続いていく。