今回は地固め療法について書こうと思う。

前回整理したように、私の治療は

「寛解導入療法 → 地固め療法 → 骨髄移植」

という流れで進んだ。

寛解導入療法で無事に寛解状態となった私は、その時点で関東から大阪へ転院した。

 

気胸を乗り越えて地固め療法へ

転院後すぐにCVカテーテルを設置した。

その際、肺気胸(肺に穴が開くこと)になってしまったが、幸い穴は自然に塞がった。

そしていよいよ地固め療法を行うことになったのである。

地固め療法を続けながら、骨髄バンクからドナー発見の連絡を待つことになった。

 

「何クールですか?」と聞かれて

地固め療法を始めるにあたり、医師から寛解導入療法でどのような治療を受けたのか聞かれた。

ところが、どうも話が噛み合わない。

医師から

「前の病院では何クール抗がん剤投与を行ったんですか?」

と聞かれたのだ。

私は「クール」という言葉自体を聞いたことがなかった。

 

クールという概念がなかった

後で知ったのだが、1クールとは

「抗がん剤を投与する期間」と

「投与を休んで回復を待つ期間」

を合わせた単位らしい。

当然そんなことは知らなかったので、

「わかりません」

と正直に答えるしかなかった。

さらに後になって分かったのだが、私が寛解導入療法で受けた治療は標準療法ではなく、新薬を用いた治療だった。

そのため一般的なクール数で表現できる治療ではなかったらしい。

 

地固め療法も抗がん剤との戦い

地固め療法といっても、患者から見れば寛解導入療法と大きく変わらない。

抗がん剤を投与する。

白血球数が減少する。

激痛注射のグランを毎日打って回復を待つ…( ;゚Д゚)

また抗がん剤を投与する。

その繰り返しだった。

当然吐き気に襲われ、あまり食事を口にすることは出来なかった。

 

この間も時々骨髄穿刺と腰椎穿刺が行われた…

翌日の検査予定の紙をもらう瞬間は恐かった…

 

点滴だらけの毎日

この頃は様々な色の抗がん剤が投与されていた。

黄色。

赤。

青。

それ以外にも生理食塩水など、いつも複数の点滴パックがぶら下がっていた。

もう自分の血管の中は薬しか流れていないんじゃないか。

よくこんな状態で普通に生きていられるものだと思っていた。

 

地獄がやってきた

そして何クール目かのある日…

地固め療法の途中で、地獄がやってきた。

私が経験したことの中でワースト3に入る嫌な経験だ…

 

長いので次回へ続きます…

 

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