大阪へ転院して間もない頃のことを書く。

 

ある日、母がお見舞いに来てくれた。

そして、その隣には母方の祖母がいた。

当時80代前半。

年齢を考えれば驚くほど元気だった。

大きな病気もなく、認知機能にも問題はなかった。

 

祖母は私が小さい頃から、とても身近な存在だった。

祖母は40代の頃に夫である祖父を亡くしている。

私が物心ついた頃には、母の実家に祖父の姿はなかった。

祖母と叔父の二人暮らしだった。

 

土日や夏休みになると、母はよく私を連れて実家へ帰った。

だから祖母は親戚の中でも特に私の相手をしてくれた人だったと思う。

そんな祖母が、わざわざ病院まで来てくれたのだった。

結局、親戚で私のお見舞いに来てくれたのは祖母ただ一人だった。

 

私は祖母がお見舞いに来ることを事前に聞かされていなかった。

だから病室に祖母が入ってきた時は本当に驚いた。

「あ、おばあちゃんやん!」

思わずそう声が出た。

すると祖母は、

「ちょっと疲れたんやわ。すぐによーなるよ」

と言った。

私は、

「そうやなぁ」

と返した。

 

その頃の私は抗がん剤の影響で髪の毛がほとんど抜けていた。

しかも中途半端に残っていたので、自分でも落武者みたいだと思っていた。

久しぶりに会う祖母に、こんな姿を見せなければならないのが辛かった。

本当なら元気な姿を見せたかった。

安心させたかった。

でも現実は祖母に心配をかける姿しか見せられなかった。

 

そして私は別のことも考えていた。

祖母は若くして祖父を亡くしている。

もし私がここで死んだらどうなるだろう。

祖母は夫だけでなく、孫までも早くに失うことになる。

それだけは嫌だった。

 

帰り際、祖母はもう一度言った。

「またよーなるわ」

そう言って帰っていった。

 

あれから長い年月が過ぎた。

祖母の言葉どおり、私は今も何とか生きている。

そして祖母もまた、100歳近くなった今でも元気に暮らしている。

考えてみれば、あの日の祖母の言葉には何の根拠もなかった。

病状を詳しく知っていたわけでもない。

それでも安心できた。

祖母の言う通りになる気がしたのだ。

 

祖母にあと何回会えるだろうか。

子供の頃は、祖母がいつまでもそこにいるような気がしていた。

でも今は違う。

会える時間には限りがある。

祖母には元気でいてほしいものだ。

私もその間は元気に生きていきたいと思う。

祖母を安心させてあげるために。

 

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