私が白血病と診断されたのは2011年5月だった。

2011年といえば、多くの人にとって忘れられない年だろう。

3月11日に東日本大震災が発生した年である。

 

震災発生時、私は勤務中だった。

ビルの4階にいたのだが、窓の外を見ると周囲のビルが一斉に揺れていた。

そんな光景を見るのは初めてだった。

「助からないかもしれない」

本気でそう思ったのを覚えている。

 

後で知ったが、その時の揺れは震度5弱だったらしい。

私は阪神・淡路大震災も経験している。

あの時は震度4だったが、体感はまるで別物だった。

原発事故と節電

震災後、福島原発の事故が起きた。

そして社会全体が節電ムードになった。

政府からも電力使用を控えるよう呼び掛けが行われていた。

そんな時期に、私は白血病と診断されたのである。

なんというタイミングだ!!!(;゚Д゚)

 

最初に入院した病院では、日中でも病棟の照明が落とされていた。

病室は薄暗い。

たったそれだけのことなのに、気持ちは沈んでいく。

さらに6月下旬になっても冷房が入らず、病室は蒸し暑かった。

そこへ抗がん剤治療が加わる。

正直かなり辛かった。

感染への恐怖

それだけではなかった。

運の悪いことに、クリーンルームが満室だった。

白血病治療では抗がん剤によって白血球が極端に減少する。

そのため通常は感染症予防のためクリーンルームへ入院する。

しかし私の場合は違った。

6人部屋のベッド。

そしてパーティションの中に小型の空気清浄機が1台。

それだけだった。

 

同室の患者さん達は軽症の糖尿病患者が中心だった。

当然、感染症など気にしていない。

暑くなれば窓を開ける。

外の空気が入ってくる。

土埃も入ってくる。

もちろん彼らが悪いわけではない。

私の事情を知らないだけなのだから。

それでも当時の私は恐怖だった。

感染症にかかったらどうしよう。

このまま助からないのではないか。

そんなことばかり考えていた。

 

当時の私は、

「病気になったタイミングが最悪だった」

「感染症で死ぬのかもしれない」

「全部含めて、これが自分の運命なのかもしれない」

とまで思っていた。

かなり追い詰められていたのだろう。

外の世界との細い糸

そんな時だった。

会社の課長と同僚がお見舞いに来てくれた。

課長は部内で集めてくれたお見舞金を持ってきてくれた。

「集まりがよかったよ」

そう言ってくれた。

同僚は病気の話ばかりではなく、普段と変わらない世間話をしてくれた。

気を遣いながらも、いつものように接してくれた。

その時間が嬉しかった。

当時の私は塞ぎ込んでいた。

病室の窓の外にある世界。

もう自分とは交わることのない世界。

そう思っていた世界と、細い糸ではあるけれど、まだ繋がっている気がした。

 

その後、別の同僚が時々漫画を貸しに来てくれるようになった。

病室で漫画を読む時間が増えた。

少し笑うことも増えた。

そしていつの間にか、

「生きたい」

と思うようになっていた。

 

 

 

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