【クリスマス前々夜】

 久しぶりに街に出てみた。いつもより人出が多いなとは感じたが、クリスマス直前の賑わいはない。歌を流したりイルミネーションで電気を無駄遣いするなどの、昔のばかげた浮かれ様が見られないのだ。チラシを配るサンタも、リヤカーを引くトナカイもいない。この寂寥たる風景は、田舎町だからなのだろうか。都会では、クリスマス商戦真っただ中の賑わいが健在なのだろうか。

【期限切れには慣れている】

 さて、我が家では賞味期限切れを気にしない。第一、スーパーでの購入品は、期限間近の見切り品が多いし、食品棚の奥の錆びかけた缶詰めや、冷蔵庫の隅で忘れられていた加工品を捨てることはない。先日など、クルマの中に放置していた飯パックをレンジして食した。賞味期限はおよそ1年前で、澱粉の変質は少し感じられたが、胃腸の異変は生じなかった。あれだけ厳重に包装されているのである。細菌のつけ入る隙はない。

【徳島の無慈悲】

 というわけで、賞味期限切れの食品にはなじみがある。だが、他人に食わせるとなると話は別である。徳島市の職員には唖然とした。生活保護の受給者らに、賞味期限切れを配っていた。ただ配るだけでなく、「体調が悪くなった場合は自己責任」との文書に署名させていたというのである。

 市は「適切ではなく精神的に傷つける対応だった」としているが、それなら責任者を処罰すべきである。市長にその覚悟があるだろうか。

【形式論理の恥知らず】

 この類の、相手に自己責任を求めながら、自らの責任は回避する破廉恥があとを絶たない。

 自民党の裏金事件で在宅起訴された議員の政治団体会計責任者が、「収支報告書の内容を確認したことがなかった。印鑑を押しただけだった」と裁判で証言したという。これって、ハンコは形式に過ぎなかったから自分には責任がない、といっているようなものである。

 この論法が認められるなら、「体調が悪くなった場合は自己責任」との念書を取られた生活保護受給者も、あれは形式的なものだったから無効である。健康被害が出たら賠償してもらう、ということができそうである。

【自己責任で腹を切る】

 相手との力関係を見極めた上で、形式のみを整え、免責を確保した上で利己主義を発露する。そのような輩があとを絶たない。人を不幸にするだけではない。正しい方法で自己実現することがない、という点において、自らも幸福にはなれない。外道である。

 徳島市は、「体調が悪くなった場合は自己責任」との念書をとって、当該職員に切腹を勧めてみたらどうだろうか。