【猫の手に操られ】

 今朝は5時半に起こされた。猫がドアの外で啼くのである。それは家のどこかの扉を明けて欲しいとの要請であり、か細いけれど、応えないといつまでも止むことがない。

 ドアを開けて猫の後に続く。階段を下り、居間のドアを開け、台所のカリカリを食べにいくのに従う。その後しばらくは待機である。食事終了後、玄関に回り、ドアを開けると、悠然と外に出て行くというのがいつもの行動パターンである。まあ、そのために起こされるのだ。

 だが今朝は少し違った。玄関ドアを開けると、猫はフリーズし、お出かけを止めてしまった。室内のどこかへと移動していった。こたつにでも潜り込んだのかもしれない。なんやねんと大阪弁でぼやきたくなる。出ないんだったら起こすなよ、わがままもいいかげんにせい、である。

【猫の魔力】

 しかし、そこが猫の魅力なのだろう。人間の表情を読んで忖度する猫、言葉を理解して言う事を聞く猫、揉手しながらするよってくる猫、独自の哲学を有して反論してくる猫など飼いたいとは思わない。わがままを通し、時にカッとなって刃向かう。評判なんか気にせずに衝動的に振る舞う。それは人間にはできない。だからこそ、自分に出来ないことを臆面なく通すその生き方に惹かれるのだろう。

 という訳で家のものは皆、猫の要求をやむを得ないと受入れて従うのである。あとで聞いたところ、実は2時ごろに一度外出し、すぐに戻ってきていたらしい。昨夜の被害者は、一人ではなかった。ひょっとすると、同じ人を何回も起こすのはと気兼ねして、当方の部屋にやって来たのかもしれない。などと、その行動を許容するための解釈を講じるのである。

【政治のから騒ぎ】

 さて、師走は粛々と進み、記念日が立て続けにやって来る。8日は真珠湾、14日には討ち入り、24日はイブ、あっという間に26日の仕事納めである。それまでに、政治的課題が片づきそうかというと、混とんとしたままである。原因は、7月の通常選挙で示された国民の意思をまともに受け止めようとしないからである。

 維新は、定数削減だとか、副首都だとかを公約に示してはいなかった。自民も、裏金問題を念頭に『政治資金の透明化』のために『解党的で直し』をするのが国民への約束だったはずである。全国民に2万円、水田政策の見直し、ともいっていた。

 ところが今、定数削減しかないかのようである。その必要性さえ検討せずに数字のみが取り沙汰されている。当然、長期的な観点からの経済政策や外交政策、エネルギー政策などどこにもない。維新の訳のわからない思いつきと、良い子のサナエちゃんが良い子になろうとする振る舞いに、メディアを含めた周囲が振り回されている。今起こっているのはそういう事態である。

【経済変動の兆しに怯えて】

 長期金利の上昇は日本の弱体化の表示であり、株の乱高下は投資家の右往左往の現れである。そしてハルマゲドンは玄関先に突如として出現する。そうなったら逃げ込む室内はなく、ただ凍りついて立ち尽くすしかない。誰かがどうにかしてくれるなど期待できない。政府や日銀が役に立たないのは、いうまでもない。

 というわけで、利確した利益の一部を実感してみたくて現金化してみた。10両ほどである。しかし、家人と半分こして手にしてみれば特に使うあてもなく、見切り品の食パンなどを求めただけであった。浪費のための時計や宝石、車にさえ興味はないのだ。手持ちぶさたのあまり、金庫の中に放り込むだけとなってしまった。貧しい。