私アメリカ人になりました:ロスで日々思うこと日記 -9ページ目

私アメリカ人になりました:ロスで日々思うこと日記

アメリカに住んであっという間に29年。セラピストになって17年。アメリカ市民になって3年。不妊治療を経て養子をもらう事になりました。早くわが子の顔が見たいよ~。そんなサンフラワーの見たり、経験した事をおもうままに書いた気ままな日記

久しぶりに記事を書いています。今年もあと2週間になりました。


2011年という年は、あまりにも色々なことがありすぎて、あっという間にすぎてしまいました。


3月の東日本大震災、6月には叔父の死。そして、8月には兄の突然死。その他にも、養子縁組のプログラムを再度変更する事になったり、本当に、変化の多い年でした。


一つ、心から思うことは、自分の身近にいる家族や友人が、どんなに大切な存在かということで、日常いつもあるから当たり前と思っていたこと。あらためて、もっともっと感謝して、大切にしたいこと。この人と会いたいと思ったら、先延ばしにしないで、必ず時間を作ろうと思います。こんな事がやってみたいと思ったら、定年退職した後なんていってないで、実行に移そうと思います。人生はいつ何があるかわからないから。


明日から、日本に3週間帰国します。来年は、4ヶ月ごとに日本に帰国して両親と時を過ごす事に決めました。 今、この歳になって、もう一度、両親と生活して時をすごせるって、なんか素敵です。若い頃とは違って、もっと両親を理解したいし、どんな人生を送ってきたかを知りたいと思っています。

又、久しぶりに書いてます。日本滞在は、怒涛のごとくの忙しさでした。でも、両親と生活を共にした3週間でした。兄が生きていたら、それに甘んじて、両親と3人だけでの生活を送る事は、まずなかったでしょう。よかった。兄に、感謝でいっぱいです。


日本にいる間に、私たちの養子縁組に関してのニュースがきた。私たちが、養子をもらおうとしていた台湾の団体は、台湾政府から、国内の養子縁組に力を入れるよう要請され、国際養子縁組のライセンスを発行してもらえなくなってしまったらしい。ということで、このプログラムからは、養子は不可能となってしまった。


ここへ来て、またも私たちの養子縁組は、曲がりくねった道にはいってしまった。昨日、養子縁組のエージェンシーとアポを取り、これからの可能性を話し合いました。台湾にある、もう一つのプログラムであれば、待ち時間は、長いが、歴史のある団体で、安心であると言うもの。もうひとつは、中国から、軽度の障害または、医療処置が必要な子供を養子にもらうというもの。中国には、そういう子供たちが2000人以上いるらしい。待ち時間は、かなり短いだろうとのこと。


今のところ、だんなと意見が分かれています。私は、一日でも早く、子供の顔がみたいし、軽度の病状で、アメリカの進んだ医療で、完治するのであれば、問題はないように思いますが、だんなは、それだけ重い責任を、一生持つのはできないと思っているようです。


それにしても、私たちの養子縁組への道は、こんなにも曲がりくねっているのですね。曲がりくねった道でも、到着地にたどり着ける事を信じて、又、新しい旅にでましょうか。



ブログに記事を書かずにあっという間に3ヶ月にもなった。5月に日本から帰ってきて、忙しかったり、養子縁組も待機状態が続いていて、ああ、書くことがないなあーと。


そんな時、突然、兄が亡くなったと父から電話があった。あわてて、その晩に日本へむかい、私たちの到着した次の日にはお通夜、そして告別式だった。 兄は、50歳だった。それから、毎日、兄の身辺整理や

目まぐるしいほど、あまりにも色々な事がありすぎて、時々、頭が混乱しそうだ。


年老いた父母のショックと悲しみを思うと、心にナイフを突き刺されるほどつらい。しかし、今まで、兄がいることで、安心してアメリカで自分の好き放題してきた私は、父母との、これからの中身の濃い時間を大切にしたいと思う。兄が、そういう時間を私にプレゼントしてくれたのだと思う。


アメリカが大好きで、日本なんか嫌いだと思って27年前に飛び出して、アメリカ国籍を取ってしまった私が、今、こうやって、日本との行き来を頻繁にすることになるなんて、人生は不思議だ。でも、全然、悪くはない。私も、少々大人になって、日本もアメリカも愛せる気がする。