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私アメリカ人になりました:ロスで日々思うこと日記

アメリカに住んであっという間に29年。セラピストになって17年。アメリカ市民になって3年。不妊治療を経て養子をもらう事になりました。早くわが子の顔が見たいよ~。そんなサンフラワーの見たり、経験した事をおもうままに書いた気ままな日記

首をなが-くして待っている、台湾からの養子縁組。去年、台湾政府の法律が変わり、国内養子縁組を奨励し、国際養子縁組は、国内で養子の迎える家族がいない子供たちになったということで、待ち時間も、わからなくなり、年が上で、何かSpecialNeedsのある子達のReferralが多くなると言われて、約1年たった。また、アメリカ移民局が、養子として条件が整っているかの審査をしてから、台湾の裁判所にケースが送らるという、エクストラのステップを設けたのだ。

今月になって、養子縁組のエージェンシーから新しい展開があったとのイーメールが来た。台湾の養子縁組は、裁判所で行われ、通常7-9ヶ月かかるところを、4ヶ月あまりでケースが処理され、4家族が、今月来月に子供をピックアップにいくらしい。どうやら、アメリカ移民局の審査が終わっているため、裁判官も、簡単にケースをプロセスし始めたらしい。

そして、今月始めに来たReferralは、二人とも、健康な1歳半と8ヶ月の小さい子達らしい。いても立ってもいられなくなり、コーディネーターに電話して、私たちは、どの位の所で、待っているのか聞いてみた。

私たち、3番目だそうです。もうちょっとだ、もう少しだ!!台湾政府が計画したほど、国内養子縁組をする家族がいないらしく、国際養子縁組に子供たちがAvailableになってきてるらしい。

我が家の近くには,アジア系のベーカリーが何軒かあるけど、今お気に入りがJJ Bakery。今日もこんなに買ってしまった。やきたてのパン、たまりません~。小さな喜び、でも、これで今日も仕事がんばろ~。



$私アメリカ人になりました:ロスで日々思うこと日記-jj bakery

2週間ほど前の、産みのお母さんの心変わりで、養子縁組の話が白紙に戻った日に、もう一つの事が

ありました。自分たちの中でもなかなか整理がつかなくて、ブログにやっと今、ブログに書いてる。


それは、両方の両親、特に母親たちの養子縁組への理解や受け入れる姿勢のこと。国内養子縁組は、国際養子縁組と違って、最後まで、養子縁組成立がわからない。ということもあって、両親には、確実になってから、連絡しようと決めていた、養子縁組に関しては、私たちからしたら、この3年半、きちんと説明し、それなりに受け入れてくれていると思っていた。


ところが、産みのお母さんが、予定日より6日早く出産することになり、あわてて電話したのがあまりよくなかった。私の母は、怒り出し、誰にも孫と思われない子供をもらうのはやめろという始末。だんなは長男だから、変な子供だったら、跡継ぎとして受け入れられないだろうと。そうしたらどうするのかと。だんなのお母さんは、ひたすら私の母が、眠れないほど心配していると。


すでに、わが子が来なくなったことと、産みのお母さんとマッチングが決まってからの、怒涛のごとくの3週間で精神的にも体力的にも、限界に来ていた私たち。[何で、こうなるのー」としか思えなかった。日本の親にとって、産みの母親が心変わりをしたことは、まったく頭になく、じゃあ、何が問題なのってことだが、

きっと突然だったことで、私たちが勝手なことをしていると思ったらしい。そして、もらった子が障害児だったらどうするのか、ということが心配だったらしい。 まず、、子供は、きちんと新生児のテストなどを受け、健康かわかってから、私たちも養子縁組の最終的な書類にサインするからと説明した。そして、’国内養子縁組は、突然決まるかもしてないとも説明した。でも、あまりにも、わからない世界のことだから、理解をこえているんだろうなと思っている。


母は、なんで私のやりたい事をわかってくれないのだろう。久しぶりに、ティーンエージャーになった気分。そして、アメリカに来てからも、何度も思ったっけなあ。と思う反面、私が母親で、娘に一生、わからない親だと思われていたら、悲しいだろうなあと、母の心情も感じる。きっと、とても心配で、こんな形でぶつかってきたんだろうと思う。年老いて、いつかは別れを言わなければならない母と、分かり合えないままは、やっぱりいやだなと思う。そしてわが子のことは、やっぱり受け入れてほしいと思う。だから、娘、息子の私たちが成長して、両親にも、もっときちんと説明して、心配で色々言われても、大きい心で受け止めながらも、私たちの夢である、わが子を迎えることは、絶対にあきらめないと決めた。