PEGあるいはRUN | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

ペグ(PEG=Percutaneous Endoscopic Gastronomy)。
この胃ろう増設術は、わしがいた病院で行われていた唯一の内科オペだ。気切は病室で行うので、オペのうちに入っていないはず。

最近の流れでは、胃ろうが延命治療のシンボルのようになっているように思う。

確かに、療養病棟における昼ご飯の時間には、車いす上で胃ろうを受けている患者さんがずらりと並んでいる光景は珍しくはないが異様だ。一般の方が初めて見たらある種のショックを受けると思う。

しかし、介護問題云々をとりあげるTVのプログラムでで、「意識がなくなったら胃ろうはしないでほしい」という意見を見聞きするたびに、何とも言えない違和感を感じる。

生き物として
「食べられなくなったら死にたい」
というのはわかるし、間違っていない。事実ぼけてない人が、食欲がなくなったと思うと突然なくなったというようなケースも数例見た。

しかしながら、わしがいた病院ではどちらかというと、胃ろうが増設が言われ始める時は、まだ治療の効果を狙うことが多かった。そして延命目的だとしても意志はともかく、意識はあることが多い。意識がなくなる方が先で見込みの少ない延命治療であれば、管理費は高くなるが、逆流誤嚥のリスクがないIVH(中心静脈栄養)が推奨されるはず。

つまるところ、一般の方が希望するような、「意識がないなら胃ろうにしないで」というそのままのケースは、ほとんど見ないから、おっしゃることはわかるが、実際を知らんのだなあ、という違和感につながる。

ところが、先週の国営放送ときたら、そんなことを吹っ飛ばすような内容を持ってきたぞ。

人工呼吸器をつけた患者さんのケース。
これは介護するご家族さんにとって明らかに胃ろうより大変だと思う。しかし、ご家族の負担の話より何より、患者さん本人の言葉に考えさせられた。大意としては、

「一人で死んでいくという道もあるのだろうが、生きていればみんな(註:たぶん家族のこと)と一緒だし」

そうだなあ。
B’zの歌詞でいうと、「死ぬなら一人だ 生きるなら一人じゃない(RUN)」
ということだな。

本日の結論は、死生観については正解はないからオチはつけない。