シューカツその他いろいろ | 週刊さんでいリターンズ

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起業系コメントが面倒になったので(わしはまだ病院にいたいんだお)、コメントは承認制にしました。基本知ってる人のコメント以外は承認しませんのであしからず。1日10人も見にこないブログで営業しても効果は少なかろうになあ、ご苦労さま。まあ、頑張ってくれ。

自分で書いたことが何言いたいんだかちっともわからなかったので書き直しました、しかしそれでもまだ意味がわかりにくい文章だな。これは師匠に怒られて当然(泣。駄文すみません。


元同僚たちと酒飲んでさっき帰ってきた。

わしが所属していた病院は、はっきりいって時代に取り残されつつあり、リハ部の上の奴らはそれを多少は気付いているようだが、それでもまだ自分らのリハ部はイケてると思っている。なぜなら地域の患者さんからの満足度は結構高いからだ。早い話がスタッフの最新の医学的な知識と技術が低いのを、患者さんとご家族さんの生活ニーズにこたえることでカバーしている。

確かに本人の認知機能が低下して生かされているだけの状況では、最新の医療うんぬんよりもご家族のニーズが優先されていいと思う。そういう医療もある。そしてそういう患者さんばかりを集めるのは一つの戦略として、ありだ。


しかし、我々リハ職にとっては、ターミナルな医療ばかりでは、はっきりいってつまらない。もちろんターミナルのリハは不必要だとは言わないが、リハすればより回復する人にリハをしたいのは医療者としての本能だ。何より技術と知識を磨かなくても人格や優しさが求められるのであれば、そこにいなくてはならないのは、資格をとるまでに1人400万の金が必要と言われるリハ職である必要はないし、POS合わせて100人以上揃える意味を感じない。リハは無料ではないのだから。

話がそれてしまったので元に戻すが、わしはその病院で、超高齢化社会において患者さんの質が変化することと、その対処、つまるところリハ中に患者さんを殺さないために行うべきことを訴えていた。わしの退職後、それを引き継いでどうやら心リハ指導士を取ろうとするやつが増え、今年は4人が受験するつもりらしい。

今日はその中の数人と飲んでいたのだが、話を聞いた限りではあの病院は、既に病院としてダメだな。前より医者のレベルは落ちているわけではないのだが、医療の方がどんどん進んでいるので、同じ場所に踏みとどまっていたら、時代から取り残されるに決まっている。今や他の病院から移ってきたドクターが「ありえない」と驚いているレベルのひどさらしい。


患者側としては、この情報社会であるので病院だったらどこでも一緒とは思ってなかろう。が、どの病院でも同じようにいい医療が受けられるようにするべきだともし思うのであれば、それは現実的ではない。

何だってランクがある方が当たり前だ。どうしたってよい医者は自分のケースが集まる病院に集まってしまうし、そうするとそこがよい病院になるのは仕方ない。小学校の時期から受験で学校のランク分けがあるのに、病院には同じようにランクをそろえて、同じ対応を求めるのは無理、というと「医療や福祉は別!そういってないで努力しなさい!」と怒り出す人がいるのだが、やっぱり無理。

努力で全てがどうにもならない。わしも頑張っても越えられない壁を最近痛感したばかり。自分ができないことを人に安易に求めるな、と。患者が身を守るためには、自分の親族のかかりやすい病気を知って、良いかかりつけ医を作っておいた方が現実的。今や救急車の受け入れもかかりつけでないと難しいので。

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さて話は全然変わって、自分の病気のことだが。

隣駅で、両クラッチ(杖)で歩く女性を見た。わしと同じ病気の女性で、あるHPで見たことがある方だった。彼女は、いわゆる「自然療法」分野の方で、「自分は病気を自然療法で治しました」と宣言されている方だ。

しかし、実際の彼女を見ると多くの方は「治った?あんな歩き方をしているのに?嘘でしょ?病気が治っても杖使わないとダメなの?がっかり」という反応になると思う。


しかし「あのクラッチゲート(杖歩行)はヤバい」ぐらいにがっつり肩に負担がかかる歩行だった。たぶんわしらの病気では、あの歩き方はできない。しかも歩行中痛みで顔をしかめるでもなく暗い表情でもなく、極めて淡々と歩いていた。憶測に過ぎないが、疾患のコントロールは悪くないか、病気そのものは本当に寛解しているのかもしれない。

寛解した理由は、彼女の主張するような徹底した食事管理とメンタルトレーニングなどの自然療法かどうかは検証しようがないし、わからない。

まあ、杖を使っていようが「治った」ことにして、明るく働きながら生きていらっしゃるのであれば、他人がどうこういうことではないだろう。

彼女とわしの共通点は、生活において夢や目標があり、そこに向かうことを何より優先していることだ。彼女は「自分が信じる方法で病気は治った。信じれば夢はかなう」と言い、わしは「病気を持っていても、それ自体は目標を達成する上での障害にはならない」と言う。

彼女の賞賛すべき点は、杖がなくては生活できないその不便さを恨むことなく、今持ってる夢がもし達成できないとしても病気を理由にできないように「病気は治った」と言い切っているところだ。同病の方には、病気を理由に世を恨み、人を恨み、何もしない人が結構多い。

自分に求めることがわかってないやつは、他人に求めることも現実から外れて大きくなる。
何でも国が、行政が、と言うのは勝手だが、じゃあ、あなたは人に何をしてあげられるの?

や、あげられるなんて上から目線は良くないな。人のためになっているかと言われるとまだ何もないが、少なくとも具体的な今後の目標と、良き同志はあるよ、わしにはね。


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さて、また話変わってわしの就職のこと。
進捗状況はまだ言えませんが、感触としてはびっくりすることに、悪くないようです。この頭の悪く年齢もいったババアにはもったいのうございます。ありがたや。

わしの履歴書を見ると、実物とはかけ離れた立派な学歴・職歴が並んでいる。必要な資格はそろっているし、前回の面接で、ある機械の操作についての実用性も確認済み。

でも。現物はこれ。本当に申し訳ない。が、新しい目標ができちゃったからそこに向かって行ってみるよ。多分10年単位で考えると、前向きコホートまでできるから、評価法と、その評価を使った報告、その病気のトレーニングと3つは大きなテーマで発表ができるはず。問題は次の所属をどこに設定するか、なんだが。

・・・神戸?(こそっ

やめよう、わし今まで書いた目標をどれだけやり遂げたと思っているんだ(涙
こいつ本当にやるで。えーと、では某病院で新しい部門を作る。

本日の結論:名古屋もありだな(ぼそっ 
やめてくれ、マジで。