はやいなー、もうりめんばーぱーるはーばーも過ぎ、論文締切まであと1か月ちょい。
確か2年前に患者さんと「今日は開戦記念日ですね」と話していたら、ほぼ若い者が知らなかったのに驚いたことがあった。とりあえずわしらの仕事は給料と社会的は低めだが、養成機関の偏差値はお高めなのだが。
や、「真珠湾攻撃の日」と言いなおせばわかる奴は増える。
しかしそんなわし自身も、患者さんには「大東亜戦争」と言われて一瞬わかんなかったことがあるから、人のことは言えない。
いつもの関係ない前ふりなので、それはおいといて。
最近は冗談抜きで忙しいので、メールもざっと題名みて教授とラボから以外のものはまるっと無視(すでに1000件近く未読がたまっておる)、ネット周回もほぼしてない。わずかに病気関係の興味があるページだけ時々回る。職業的好奇心には勝てない。冬だし。(意味不明かもしれんが意味はある)
しかし、申し訳ないが病人の考えることは理解の範疇を越えることがあるなあ。
や、精神がやられている訳ではなくて。確かに病気になるとどんな病気でも抑うつ傾向になること自体は珍しくはない。病気の受け入りステージでも拒否・怒り・取引の次が抑うつであったりする訳だが、どーも、その次の受容がとんでもない方向に行ってるケースを時々だが見かけて、それがどうやらわしの見学物件。
去年、ワークで終末期の患者に対するケースをモデルに、どう改善すべきかについて話し合った時、米国育ちの学生さんが、
「自分の死に対して、自分だけでなく家族が今後どういう人生を送るかにも関係あるのにきちんと向き合わない」とばっさり。
更に最近は情報開示も進みつつあるけど、まだ知らない権利も健在ですよね、と話すわしに、
「だから日本人はダメなんですよ」
同じ日本人でも彼女はメンタリティが米国製だからなあ、と流していたのだが、なんというか、わしの見学対象は多少電波なケースなのだと思うが、もしもこれが日本人の主流なケースであるならば、確かにこれは彼女に日本人はダメだと言われても仕方がない。しかも1件じゃないからなあ…
具体的には
1.「病気が治った人」の情報のみを信じる
2.薬は悪だと思い込む、または薬が治してくれる(将来は特効薬が出る、も含む)と信じすぎる
3.人間の「自然治癒力」を信じすぎ。
簡単に言えば、自分がおかれるポジションを理解しない、ということになる。
老化には個人差があるが、誰でも死ぬのは間違いないからな、40も過ぎれば自然に任せていけば若い頃に比べて悪くなることはあってもよくなることはない。今までだって全く問題がなかったわけではなく、積み重なったものがブレイクしただけのことだ。
と、言うわしだって医療従事者でありながら、やはり前と同じ労働環境に復帰するのは無理、と肌で理解した時は受け入れステージでいうと「拒否」に近かった。ただしすぐに次以降に進んだけど。
どーなんだろ、まだ「拒否」が続いているのかよくわからんのだが、わしにわかることは、多分あの人たちの「目標」が達成されることはないだろう、ということだけだ。
だって、あまりにもアプローチが間違ってるもん。しかも本人何もやってねーし。
例えとしてどーなのかと思うが、インターン時代によく話した子どもと良く似た発想だ。
ちょっとフェイクを入れるが、その子どもの言うに、
自分はある芸能人が好き
↓
その芸能人は黒髪さらさらのロングヘアーで、笑うと片えくぼ、泣きぼくろの女性が好き
↓
私はその条件に全てあてはまる。
↓
彼は私を探しに来てくれる。絶対だ!
ぐらいの斜め上さ加減。
や、子どものいうことは、子どものいうことだから可愛いさ。
しかし、40過ぎた大人がその発想はねーわ。
治った人とは身体的な環境が違うし(まず発症年齢は予後の危険因子の一つ)、よくなった人の情報を聞くこと”だけ”を重要視して、何も続かないし(←”治った”と言って本を出した人は、今はインチキ呼ばわりされているが、少なくとも良いと言われることは何でもしていた)、その癖理想は高いし。それが1人じゃないっていうのが怖いなあ。
これはもし自分の患者さんだと、かなりHP削られるケース。
悪気は全くなく、どこまでかわからんが結構本気で完全治癒目標だろうから始末が悪い。リハを始めた当初は、誰が担当しても大概良くなっちゃうから、逆に心の落としどころが難しいんですよな。
まー、病院には来なかろうから、削られることもないかw
この、自分の置かれる位置がわからん、聞いただけでわかった気になってしまうってのは自分にも当てはまるので、自戒のためにメモ。自分の置かれる位置がわからんというのは、気が付いてみるととても恥ずかしいことですよ。
さて、今日はこのぐらいで寝よう。明日もがんばるぞ、と・・・。
論文終わるまで更新なしの方向で。コメント欄も閉じます。