実習もあと2週、9日であるが、レポートは残り5本。
とりあえず来週は月曜から忘年会で多分その後はもう人間らしい生活は
あきらめた方が良いのでビール飲んで昼寝した。いや、朽ちかけた浴槽でも
風呂に入れてビール飲めるだけ人間らしいってば。
お上の意向とは言え仕事で命を落とすにぽん人もいる訳で。
よくわからんのだが、あれだけ東大が多い組織でなぜ亡くなられた方は、
別の大学の出身の方なのか?と不思議に思ったりした。
米軍にご遺体配送されるのはども納得いかんのだが、泥酔論説委員さんの
専用機に資金をかけるぐらいなら大使館の警備や人員の補強に充当する方が、
彼らが遣り残した使命を続けるのに必要、との意見が正当だろうなあ。
自分の家族だったらと思うと正直納得し辛くはあるけれど。
しかしいざ、と言う時に自ら死地に赴くことを厭わないのがエリートである
ということであるが(日経社説)、テロリストも自爆することは厭わない訳で。
いや誰だって死ぬのは嫌だろう(と思う)が、戦時中の普通の日本男児は
戦争で死ぬのは当然と思っていたごとく、愛国心やら義務感だけの問題ではなく、
70%以上が病院で死ぬ現在、我々が病院で死ぬのは当たり前だと思っているのと
同じような「死に方観」の違いなような気がしたり。
畳の上で死ぬことが一般的に好ましいとされるようだが、仕事中に死にたい
と思う人もいるだろうし、と、思うことはいろいろあるがつまるところ
多分二週間寝ないぐらいじゃ死にはしないだろう。安心しろ>自分。
というか戦地とレポートじゃ比較するのも変だし、全て戦死するよりましだ
という結論で終わってしまうじゃないか。まるである病院のバイザーが
「それも性格の問題ですかね」で全て話が終わってしまうのと同じだ。
と、話がどんどん泥沼の方へ向かっていくような気がする。
ここで村上龍なら小難しいことも考えているんだぞそいう振りをしといて
(そんなこといっていいのか?)次に女とアウトドアの話に転換するのだが
最早わしにはてんかんというと「癲癇」しか思いつかない状態であるほど
仕事をしてもいない訳で。
本日の結論:なし。