戦争が我々姉弟に与えた影響について | 週刊さんでいリターンズ

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いくら年寄りと名乗っているとは言え、わしも戦後の生まれである。
「もはや戦後ではない」と言われたのが昭和30年だから、戦後生まれ
とは言わないのかもしれないが。

最近どうやら自分には西洋人コンプレックスがあるようだと気付いたので
何でだろうと考えていた。手足が短いからか。確かにそれはある。
この前ヴァージニアから来た高校生とおぼしき190㎝近いお嬢ちゃんの脚が
わしより細い上にわしの胸ぐらいのところまであったもんで
「やっぱ女は胸より脚よのぉ」と自分の盛り上がった腓骨筋を撫でながら
「爆脚」を誇るわしは羨ましげに眺めていたのであるがそれが主因ではない。
顔か、と言うと確かにバタ臭い顔に馴れると東洋人の起伏の少ない顔は
間が抜けたように見えなくもないが好みの問題だからやっぱ違う。
肌の色か、と思ったが色よりハリの方が大事だと思うから違う。

例えばレコバが(唐突やな)イタリアで「チナ(中国人)」という愛称でも
怒らないのは顔のこと言ってんだろというぐらいで中国人に対する蔑視感情を
持っていないからと思われる。よく知らないから気にならない。

時々「チナ」と蔑視的に言うイタリア人がいるのは多分商売上手な中国人に
負けた商売人の逆恨みが親から子に伝わるからでは。

と言われて思い当たった。それだよ。
わしと弟は満州事変からの国民兵だった祖父を始め母方の親族から戦争の話を
繰り返し聞いた。特に祖父は残った日記を見るに達筆で表現力も優れていたようだ。

そこで植えられた思想はこうだ。

「戦争は悲惨だ」
 ↓
「戦後土地は取られ戦争恩給も少ない」
 ↓
「日本が戦争に負けたからだ」
そして私が導いた結論が多分、
「鬼畜米英」。

うわー。マジか。
弟も小学校の時に「今度戦争になったらアメリカを負かしたい」という
イラクの子供のような作文を書いたことがあり、先生に諭されている。
米国留学してる時に服部くん事件があった時も「日本ではどんな報道?」と
電話してきて「犯人と被害者が逆なら絶対有罪だね」など話していたから
成人しても人種差別等の米国の問題に敏感のようだ。
姉弟揃って、と言う事はやはり家族環境の影響だろう。

うーむ。何てこったよ。
戦争の悲惨さを語り続ける時には方向に気をつけようという例だが、
こんな事書いてると祖父に「お前の解釈違いじゃバカ者」と夢枕に立たれると困るなあ。