冬なので我が校坊主部も勢い下制で髪伸び気味である。
ここで一発NBA
でも見て気合を入れて頂きたい。
犬も歩けば坊主に当たる今日この頃。
ところで坊主のお経というのは聖書と同じく教典、教えの言葉であるわけだな?
というと「南無阿弥陀仏」が「主の祈り」に該当するのだろうな。
じゃ、我が日本国の神道は?
と思ったのは高校生の時「呪文の本」を書店で目にした事を思い出したからだ。
仕事が上手く行く呪文とか病気が治る呪文とかのポジティブなものばかりでなく、
ライバルを蹴落とす呪文とか、果てには人を殺す呪文とかもあった。
お札に書く内容と方法(方角やお供え物・処理)が載ったマニュアルだ。
話のネタに買っておけばよかったな。しかし本当に呪った相手がすぐ死んだ場合、
殺人罪には問われなくても自分も恐いような。
正しい方法で丑の刻参りをしたら相手は死ぬと聞いた事がある。
が、その場合死ぬ瞬間に相手も自分が殺された方法を悟り、取り憑くので
廃人のような人生を送るとも聞いた。本当かどうかは知らんが。
何でそんな本を置いてあったんだろう>埼玉の某本屋。(汗)
神道と言えば当然やんごとなき方面なのであるが。
この前「海行かば」の歌詞の意味を相方に聞かれたので、久々に万葉集など
持ち出してみた。巻十八、4094番・大伴家持が陸奥国に金を供出するようにと
天皇に代わりに出した詔書の一部である。
当時は歌人が天皇の代筆と言うか代作をしたわけだが
「お国の為に金をお出し。代々天皇が海に行けば海で、山に行けば山で死ぬぐらい
お側に仕えて天皇のみ言葉をお伝えする仕事をしてきた由緒正しき大伴家の
この家持が慶んで天皇の代わりにお伝え申し上げるのよ、いぢょ」
って感じの歌で、「海行かば」の部分は大伴家の正統性を主張する部分なのが
本来の意味だとわしでもぱっと見解るわけで、純粋な小学生の時に歌わされた
うちのクソ親父らの事を考えると少し暗くなるのである。
つまる所、出典のわからん呪文なんぞも自分の所に帰って来るよな代物かもしれん訳で。
仮に本物が流布されていると殺人事件は減るかもしれないが、奇怪な変死が
増えるかもしれんわけでそれもまた恐い。ま、そんなん簡単に信用する人も恐いやね。
本日の結論:坊主も多分狂牛病の肉は嫌なものだ。(表題の意訳)