石女と書いて「うまずめ」と読む。子を産めない女のことだ。
子宮が石のようだという意味か、石を抱いているようだからなのか
(それは違う例えのような)悲しい響きだ。「神の子たちはみな踊る」(村上春樹)
の中の「石を抱えた」女性が子どもを産まないのはこの表現を意識したものか。
世間のわしに対する評価もそうなのだな...
酒部I田(30歳巨根)が「君には何か大きな問題がある」みたいな事を言って
繰り返し説教をかますもんで、自分について掘り下げていたのであるが、
つい最近思い当たる事があった。大分前、「ボディワーク」に行った時も
先生に「それは結構根が深いかもしれないね」と言われたのだが
ずっと自分で処理しきれたと思っていたある感情が未処理であったようだ。
冷静な時は平気だが、酒を飲んでI田に説教されると突然急激に悲しくなり
静かに涙を流し続けるのである。その状態で電車に乗るとかなり恐い。
東京郊外で夜中泣きながら電車に乗っている中年女がいたらそれは私です。
そっとしておいてください、と言わずとも多分声をかける人はいまい。
その内容については今は言葉にしても嘘になりそうなので書かない。
これだけ自分の為に泣く事は初めてだと思う。村上春樹の表現を借りるなら
私が内に抱えたこの石はどれだけ泣いたら消えるのであろう。
涙で溶ける日が来るのだろうか。
仏教では「不産(うまず)の地獄」という子どもを産まない女が堕ちる地獄がある。
灯心で竹の根を掘らねばならぬそうだ。竹というのは大変強い植物で
ほんの少しでも根が残っているとしぶとく生えてくる。田畑を作るには
大変迷惑な植物である。その癖花が咲くと一夜にして枯れるのだが。
そんなことを考えていたら昨日はすごく悪い夢を見た。
一晩中線路を歩いてどこかに辿り着くゲームをしている。時々貨物列車は通るので
その時は避けねばならない。順調に歩いていると、前方にトンネルがある。
トンネル内で列車を迎えるのは恐いので時刻表を見ると後7分ある。
長いトンネルだが途中走れば通り抜けそう。ところが列車は思いの他早く来る。
壁際に思いっきり避けるのだが何かに触る。見ると赤いものがちらちら動く。
何だろう、と懐中電灯で照らすと壁一面にカニがゴキブリみたいにうようよと、、、
ひええ。
うーむ。食えるカニ地獄なら歓迎だが。竹の根とどっちがよいか考えちう。