ども、何日かぶりです。皆様しし座流星群ご覧になりましたか?
私は勉強しておりましたら同級生が「流星群が見えるよ」とメール
くれましたので(インビな野郎だぜ)見ました。初めは逆方向を見てて
雲ばっかぢゃんよ、ばかやろー、と思いつつ逆側に回ったら、まるで
涙がこぼれんばかりの流れ星。まあ。思わず
「生理学、通りますように」
と願いをかけてしまいましたよ。
たまたま昔のメールを見ていて発掘しちゃったことがある。
元牧師の大道芸人との会話。私は何かで説教されたらしい。(説教好きな私)
「ある時イエスは弟子に向かって”俺は腹が減った。あそこに無花果の木がある。
きっと実がなっているから見て来い”しかし季節は冬で無花果の実はなっていなかった。
そこでイエスは
”なんだよ、俺は腹が減っているのに実がなってないとはどういうことだ。
お前なんか一生実がならないようにしてやる”と無花果の木を蹴った。
それでその無花果は一生実がなることはなかった」
「で、その話の教訓は?」
「うん。神様はわがままなんだよ」
「・・・で。本当は?」
「だから神様は何をしてもいいんだよ。だって考えてみな?自分がプラモデルを
作ったとする。はじめは静かにきこきこ動いていたが、そのうち勝手に意志を
持って騒ぎ出し、夜中に眠ろうとしたら耳元で騒ぎ出すし戦争なんか始めちゃう。
自分で作った物だし壊すのは勝手だろ?それと同じことだよ。」
「ふむ。」
「人は神のために働くのであって、神を拝んだところで願いを聞いてくれる
なんてのは甘い。神を拝む暇があったら仕事してこい、ということだね。」
「。。。と日曜学校で説教したら嫌われるわな」
「いや、そうでもないんだ。牧師仲間には嫌われるけどね。」
お互い正直者だからなあ。
ちなみに本当の解釈は「死後裁きを受けるので、いつ裁きにあっても(死んでも)
いいように覚悟をしておけ」なのだそうだ。
ほんぢつの教訓:試験に神頼みは効きません。
いつ試験があってもいいように覚悟をしておけ。と言うわけだな。