信州の産婦人科医院から -3ページ目

1階

さて、1階は半分駐車場な訳ですが・・・。
残り半分は、入院患者さん用の厨房と、カフェ&ショップになっています。

自分も子どもを持って分かりますが、子連れで入れる場所というのは意外と少ないです。
今は外食産業も厳しい時代なので、子連れ不可、というお店は案外少なく、子どもを連れても入れるところが多いのですが、現実問題としてベビーカーに乗せたまますんなり入れる、となると、結構ハードルが高くなります。
今回のカフェは、そういった親子連れや犬連れ、オストメイトなど、なかなか普段はそういう一般のお店に入りにくい方も入れるようなお店、ということで考えました。
また、地域の人にとっても憩いの場になったり、情報発信を出来るような場所になるといいと思っています。

実際は立ち上げてみないと分からないですが、そういう夢の実現に繋がるよう、頑張ってみます。

足場が取れた外観

足場が取れた外観です
信州の産婦人科医院から$信州の産婦人科医院から

東日本大震災と建築

さて、建て替えのそもそものきっかけが耐震診断、というお話を以前しましたが、新しい病棟の設計中に起きたのが、東日本大震災でした。
この頃は既にある程度図面が仕上がりつつあったのですが、震災の影響で東北以外の地域では建築の遅れが出たりしたこともあり、震災の影響が落ち着くまで着工を伸ばし、その分設計に余計に時間をかけました。

自分自身、成人してから阪神淡路大震災・東日本大震災と、2回も大きな地震に遭遇するとは思いませんでしたが(自分自身に大きな被害はありませんでしたが)、この2回の震災は設計にかなり影響を与えています。

長野市の場合はあるとすれば直下型の地震だろうと予想されますが、こうした場合、概ね3日間持ちこたえれば周辺地域からの救援が来る、ということが分かりました。また、ライフラインの復旧は電気が比較的早いこと、また、水の確保とトイレの確保が重要課題であることも分かりました。

災害が発生しても分娩はお休みしてくれないという産科医療の特性上、例え小さな診療所といえども災害発生時に入院している患者さん、そして、分娩に来る妊婦さんには対応しなくてはなりません。
そうしたことを踏まえて、設計も変更したりしました。

また、阪神淡路大震災で分かったことは、災害時には都市部の道路は寸断され、各個人が移動できる範囲が災害直後は非常に小さくなることです。また、緊急車両もそういう時期には十分な地域をカバーすることが出来ません。
これも3日後ぐらいには、大きな道路は片付けが進んで使用可能になってきます。そうなれば、傷病者を災害拠点病院に運ぶことも容易になってきますが、裏を返せばそれまでは災害拠点病院にたどり着けない傷病者が多数出る可能性があるということです。帰宅困難者も同様でしょう。
そうなると、日本のように中小規模の医療施設が割合密に存在しているというのは、上手く利用すれば結構意味のあるのでは、と思いました。(もちろん、災害時にそういう中小医療施設が機能停止してしまわないことが前提ですが)
避難所には救護所が設置されますけれど、避難所のすぐ傍で機能している中小医療施設があるなら、救護所だけでなくそれを活用するのも一つの手じゃないかなあ、と。

そうしたとき、産科有床診療所というのは
1)入院施設がある
2)手術設備がある
という点で、災害時に割と有効に利用できそうな医療施設じゃないでしょうか?
もちろん、他施設の医師にも来てもらえれば、更に広くカバーできます。
こういう施設でトリアージを行い、軽傷者は処置できれば全てを災害拠点病院に運ぶ必要は無くなりますし、ちょっとした怪我を近くの診療所で処置してもらえたりすれば、住民にとっても良いことだと思いました。

そう考えたので、設計で
・災害発生後、72時間持ちこたえられる施設
ということを第一に考えてあります。

・・・とは思ったんですが、日本の縦割り型組織だと、連携が難しいみたいです。
実際、そう考えて設備投資を増やしても助成があるわけでもないしねえ・・・。

それでももし、長野市で大きな災害が発生したときには、自分の診療所がちょっとでも地域の人のために有効に役立てるよう、準備はしていきたいと思います。