前回の続きです。

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公理ってなーに?という話なのですが、簡単に言うと、「言うまでもなく当たり前のこと」です。(数学科の皆さん厳密なツッコミは(ry

 

数学的に話をするとちょっと難しいのでさっきの例で言いますけど、ざっくりとした具体例を出すと

公理=事故ったら痛い。てゆーか死ぬ。

定義=赤信号は止まる(ルール)

定理=点滅信号のときは様子見る

みたいな感じでしょうか。

 

僕であれば

・九大出身である

・平戸(田舎)出身である

・社交ダンスしてる

とかは疑いなく事実なんですが、掘り下げると

・家族いる

・育児休暇取ったら離婚しかけた

・お金の知識がなかった、てか軽視してた

・コミュニケーション取ってなかった

・その結果鬱にまでなった

ということも間違いない「公理」です。

 

以上を踏まえると、「ってことはお金に詳しくなってコミュニケーション強くなったら家族大事に出来るんじゃない?」ってことになり、「FPとかっていいよね」という「定理」が浮かんでくるわけです。

僕の場合、ここまで来て「家族を失いたくない」とか「無知だった自分に何かを提供したい」ということが「定義」になったのでした。

 

ロジックで言えば「定義」→「定理」なのですが、僕の場合は「公理」→「定理」→「定義」という、ちょっと特殊な順番で自分を定義しました。

 

でも、何が起こるか分からないこの時代においては、この設定の仕方の方がフィットしているように感じます。というか、現代人このパターン多いように感じる。情報が溢れすぎてるんだもの。

 

ちょっと脱線しますが、これはキンコン西野さんの近大でのスピーチで有名な「僕たちは未来を変えることは出来ないけれど、過去を変えることは出来る」という言葉と通じるところがあると思います。

 

キンコン西野さんの近大のスピーチはコチラ

 

未来についてはどうなるか分からないしコントロールしても抗えないこともあるし、何より考えるほどに分からなくなるのだけど、過去に着目して事実認識し自分を設定できれば、嫌だった過去も意味のある色を帯びるんじゃないかと。

 

 

・・・

このブログで僕が言いたかったのは

・まず「どうなりたいか」を考えて、分からなければ「事実」を拾い上げよ

ということなのですが、

・思考停止せず考え続けよ

ということもあります。

 

あえて数学の要素を入れて書いてみましたが、そうすると大半の人は嫌がると思うのです。

特に、「高校数学とか人生で何の役に立つねん」という人はいるかと思います。ただ、僕はそれがすごく役に立っていて、今流行りの「メモ魔」である前田社長が言われている「抽象⇔具体」の考え方をナチュラルに出来るようになっていました。

 

自分が今もっているものがどう役に立つのか、どう考えてもいいんですけど、ちゃんと勉強してロジック立てて考えることは誰にだってできると思います。出来ないのはサボリだと思ってます。だって感覚を身に着けるのは難しいけど、論理は誰でも勉強できるから。

 

なんか行動できないな。。と感じている人は、ぜひ公理に着目して定義を設定してみてください。何より途中で投げ出さないこと。やり続けることで何か出てくると思います。