サウンドシステム
さあーとうとう4日目だ
笑。
「最近はかなり涼しくなりましたね...、とうとう秋の訪れでしょうか」
なんて始めたい所ですが、僕には時間がありません。
連日お伝えしている(というか毎夜)ダンスミュージックの刹那的な美しさ。
今夜はプレイヤーのソウルとオーディエンスの解放の次に大切な、「サウンドシステム」についてお話させて頂きます。
さあ、レッツお勉強!!!
クラブサウンドはこのサウンドシステムとPAの力なくして、恍惚はありえない。
多くのナイト・クラブが登場しては消えていく東京という大都市において14年もシーンをリードし、数々の伝説を生んできた歴史のある老舗・西麻布SPACE LAB YELLOW。(現.eleven)
ここにあったサウンドシステムは最高だった。
ディープ・ハウスを軸に、テクノ、プログレッシヴ・ハウスといったジャンルにおいても、最高の空間と煌めきを与えてくれるサウンド・システム。噂では、片スピーカーうん百万という代物であり、Frankie Knuckles や Derrick May、Francois K、Hernan Cattaneo などの大物 DJも大絶賛るほど。
勝手に踊らされる。
それくらいキックは勿論、低ミドルがなんてったっていい。勿論、高ミドルも同じくらい。
重要なことは、「人間が気持ちのいい」音質ということなんです。
快楽とは母体内回帰的要素を十二分に孕んでおり、もう一生来ることのない幼児性への憧憬でもありうる。
赤ちゃんに帰り、あるがままの姿と感覚で...。
とまあ、まさに世界に誇れるサウンドシステムなわけです。
しかも復活をはたした現.eleven(故.yellow)はPAもyellowのスタッフを呼び戻している。
ディレクター 市川裕子のもとに、10人のyellowエンジニアが戻って来た。まるで必然であったかのように...。
コアスタッフ11人。「10」という最大数を越える(go to eleven)という強大なパワークラブにという想いを込めて「eleven」にしたそうです。
さあみなさん、週末は11へ!!!!!
<サウンドシステムの始まりについて>
近代サウンドシステムの始まりは、時は1929年 西ドイツ。
ナチスの党大会で、建築家アルベルト・シュペールによって、6万人が収容出来るグラウンドの地中に、巨大出力スピーカーを埋めて重低音を響かせた。
これが始まりとも言われる。
その頃は、実際のオーケストラを呼んで演奏させるのが主流であったが、この日は電気的な拡声が可能なレコードを使用した。
この記念すべき史上1人目のDJは誰だったのか?
当然皆さんも知りたいことだろう。
私も乳首がはちきれんばかりに知りたい。
しかし、残念ながらその詳細な記録は残っていないようだ。
ナチスドイツの音楽好き将校といえばハインリッヒ、しかし彼はヒトラーの側近だった為、裏方でDJしているとは思えない。
またはレコード店の店主ウォルフガングか、はたまたニュールンベルグ国営ラジオの音効担当のギュンターだったのか。
謎のままである。
しかしこの謎のDJが、ワーグナー(楽劇のスコアだったようだ)と、アドルフヒトラーの低い声色の演説をMixさせて、アドレナリンぶっ放して、脳内ダンス革命していたことは間違いない。
至高のダンスミュージックだ。
このワーグナーの構成中のグランカッサが現代いうところのキックとなり、コントラバスが極太ベースラインであった。
このようにサウンドシステムは始まったのである。
笑。「最近はかなり涼しくなりましたね...、とうとう秋の訪れでしょうか」
なんて始めたい所ですが、僕には時間がありません。
連日お伝えしている(というか毎夜)ダンスミュージックの刹那的な美しさ。
今夜はプレイヤーのソウルとオーディエンスの解放の次に大切な、「サウンドシステム」についてお話させて頂きます。
さあ、レッツお勉強!!!
クラブサウンドはこのサウンドシステムとPAの力なくして、恍惚はありえない。
多くのナイト・クラブが登場しては消えていく東京という大都市において14年もシーンをリードし、数々の伝説を生んできた歴史のある老舗・西麻布SPACE LAB YELLOW。(現.eleven)
ここにあったサウンドシステムは最高だった。
ディープ・ハウスを軸に、テクノ、プログレッシヴ・ハウスといったジャンルにおいても、最高の空間と煌めきを与えてくれるサウンド・システム。噂では、片スピーカーうん百万という代物であり、Frankie Knuckles や Derrick May、Francois K、Hernan Cattaneo などの大物 DJも大絶賛るほど。
勝手に踊らされる。
それくらいキックは勿論、低ミドルがなんてったっていい。勿論、高ミドルも同じくらい。
重要なことは、「人間が気持ちのいい」音質ということなんです。
快楽とは母体内回帰的要素を十二分に孕んでおり、もう一生来ることのない幼児性への憧憬でもありうる。
赤ちゃんに帰り、あるがままの姿と感覚で...。
とまあ、まさに世界に誇れるサウンドシステムなわけです。
しかも復活をはたした現.eleven(故.yellow)はPAもyellowのスタッフを呼び戻している。
ディレクター 市川裕子のもとに、10人のyellowエンジニアが戻って来た。まるで必然であったかのように...。
コアスタッフ11人。「10」という最大数を越える(go to eleven)という強大なパワークラブにという想いを込めて「eleven」にしたそうです。
さあみなさん、週末は11へ!!!!!
<サウンドシステムの始まりについて>
近代サウンドシステムの始まりは、時は1929年 西ドイツ。
ナチスの党大会で、建築家アルベルト・シュペールによって、6万人が収容出来るグラウンドの地中に、巨大出力スピーカーを埋めて重低音を響かせた。
これが始まりとも言われる。
その頃は、実際のオーケストラを呼んで演奏させるのが主流であったが、この日は電気的な拡声が可能なレコードを使用した。
この記念すべき史上1人目のDJは誰だったのか?
当然皆さんも知りたいことだろう。
私も乳首がはちきれんばかりに知りたい。
しかし、残念ながらその詳細な記録は残っていないようだ。
ナチスドイツの音楽好き将校といえばハインリッヒ、しかし彼はヒトラーの側近だった為、裏方でDJしているとは思えない。
またはレコード店の店主ウォルフガングか、はたまたニュールンベルグ国営ラジオの音効担当のギュンターだったのか。
謎のままである。
しかしこの謎のDJが、ワーグナー(楽劇のスコアだったようだ)と、アドルフヒトラーの低い声色の演説をMixさせて、アドレナリンぶっ放して、脳内ダンス革命していたことは間違いない。
至高のダンスミュージックだ。
このワーグナーの構成中のグランカッサが現代いうところのキックとなり、コントラバスが極太ベースラインであった。
このようにサウンドシステムは始まったのである。