Jaco Pastoriusに捧ぐ
最近やったらジャズ男っす。今、2週間かけてじっくり史実を学習し終わった所でございます。
史実と言っても、歴史はいつも”捏造”と共にあるものです。
しかしながら、私達にはとても幸運なことに、音源という”真実”が残されています。
それをですね、聞きながら、Powrerd by ググりながら、ライナーノーツ見つめながら、菊地成孔感じながら、ジャズの奏法、はたまた音楽全般の理論書片手にですね、夜中も丑三つ刻過ぎまでお勉強しております。
私の勉強したことを次回このBlogで紹介したいと思います。
皆さんのジャズの印象を変え、もっと近親感あるもので、そして少しでもジャズを好きになってくれたら嬉しいなと思っております。
ジャズ、というかこれまた音楽全般をより深く知る為には、音楽をやっていなかろうと技法の云々は最低限必要です。なぜならニューウェイブのヒットの陰には必ず新しい技法・思想の爆発、もしくは拡大が重要不可欠だからです。
ここの部分を音楽を知らない方達にも分かりやすく、さらっと理解出来るようご説明交えながら紹介したいと思います。
乞うご期待!!
本日は、Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)について。
天才ベーシストであり、破天荒。フロリダという、多くのベーシスト、パーカッショニストを生んだ土地にて生まれる。青年期はドラマーであったがが、13歳の時にフットボールの試合中、右手首を骨折してしまいシンバル・ワークにおいてドラムを続ける事が難しくなり、ベーシストへ転向した。
その後、あの伝説のフージョン ジャズバンド「ウェザー・リポート」の正ベーシストなる。主要メンバーであるジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターに自分のデモテープを送り、熱烈なラブコールの成果であった。
このウェザーリポートは1960年代、「イギリスの襲来」と呼ばれる事件、つまりはビートルズやストーンズ、ザ・フー等のイギリスロック軍団が、アメリカの音楽シーンを独占し始め、ジャズがその存在意義、大衆音楽から芸術への脱皮を模索している時期に生まれました。(正確には1971年結成)
1950年代はジャズがアメリカの大衆音楽でした。ですから、アートというよりは多くの人に愛される音楽だったのです。しかしながら、黒人に対しての弾圧も苛烈な時代にも関わらず、やはり音楽の歴史は必ず黒人の衝動、持って生まれたアフリカンな遺伝子から始まるのです。あの帝王マイルスでさえ、50年代は下手クソな白人ジャズメンとコンサートをしなければなりませんでした。いくらマイルスがシーンのNo.1成りたがり、かっこうつけまくりマン(笑)とはいえ、ジャズメンの誇りとの葛藤があったことでしょう。
こそそれは他のジャズジャイアンツでさえ同じです。
そこに現れた60年代のイギリスロック軍団。
さらにはジャズは元々セッションの中で生まれたものであり、生ライブでこそ!という概念が固着していました。そこに追い打ちをかけるようなレコーディング技術と、電子音楽の振興。ジャズはピアノ、トランペット、ベース等の生楽器を使用しますが、少し学理的なことを言うと、これら生楽器には「余計な音」が存在しないのです。18世紀バッハ以降急速に発展した12音平均律というものが基盤となっていて、これは要はピアノの白と黒をの鍵盤を足すと12個であり、その音と音の幅は均等な調整をなされている ということなんです。
つまりジャズはこの12音以外の音はノイズとさえ考えられていて、この電子音 今で言うシンセサイザーの音程や、ギターアンプの音、アフリカンドラムス(パーカッションやコンガ)にはたくさん12音以外の音が含まれていて、そんなもんジャズにはいらねーと言った訳ですよ。
録音と電子音楽の発展とシーンへの大普及、はたまたジャズの生演奏主義とアンチ電子音。
対立する。
その果てに、ジャズは自分達の領域を神聖化する為にメインストリームから消えていったのです。
しかし、全てのジャズメンがそうなわけでは勿論ありません。
マイルス、オーネットコールマン、コルトレーン、エリックドルフィン等は、50年代の良きジャズ時代(ビバップ期)をより進化させようと思索します。
マイルスはエレクトロを導入します。それは流行の電子音を導入させたかっただけでは当然ながらありません。
電子音でしかやれなかったジャズをやりたかったからです。
かっこいい...。
今書きながら震えてますよ!
そのマイルスのエレクトロ期に共にバンドをしていたのが、ウェザーリポートのジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターなんです!!
ふー、やっとウェザリポに帰ってこれた。(笑)
かなーり遠回りしました。笑
でも歴史と個的感情がスパークすると文章も長くなっちゃいますよ。
しかもこんな素敵なジャズ史ですから。
さてさて、私はこの時期のマイルスバンドが一番大好きなんです。
この辺は次回以降で説明しますが、生楽器ジャズとしての(技法も踏まえて)、最高の状態に昇華されていると思います。
このジャズの変遷期の始まりは、マイルスの「Kind Of Blue」というアルバムがありますが、こりゃ名作です。
押し殺したような、吐息ひとつにも究極の神経が必要なほどの緊迫感とジャズのキラビやかな艶、セクシーさが全開です。
現在でもビルボード、あなたが選ぶ最高の的な(笑)ジャズアルバムのトップ5に必ず入ってきます。モノホンです。
さあ、TUTAYAにゴー!!笑
そんな時期からマイルスバンドに加入したウェイン・ショーター。後にジョー・ザヴィヌルも加入します。
こんな恐ろしい程にジャズを突き詰める時期に、帝王マイルスと共に音楽制作を行った二人が作ったバンドがウェザー・リポートなんです。凄くないはずがないよね。
このバンドはマイルスよりももっとありのままに(ノイズも大切に)電子音を導入した、ジャズ界の大革命バンドなんです。電子音を「自然」と捉えたんです。凄い。
さあ、TUTAYAにゴー!!笑
これだけTUTAYA推してるんだから、金貰わなきゃ。笑
やっとジャコに戻ります。笑
ジャコはそのひとつひとつの音がジャコだった。
今までには考えられないようなベースラインを発した。
巧みで、情熱的で、荒々しく、繊細で。
ジャコは慢性的な鬱病で、コカイン大好き、そして元から変人だった。
だけど、人前では陽気で気さくだった。
笑顔の綺麗な男性だった。
私は初めてジャコの「Amelia」という曲を聞いた。
確かLive ver.でWayne CochranとThe C.C. Ridersと連名だが、ジャコのベースは唸っていた。
空間を凌駕し、大蛇のように極太なベースラインが暴れ回り、時に小さな点をドンピシャで突くように...。
私は泣いた。
失神した。
そして音楽に、このクズのような私のマインドを捧げてきて本当に良かったと思った。
何も言うことはないよ、神の啓示かとさえ思ったんだ。
頭から離れない。どんな事象も思慮も持っていかれる。
昼間に聞いた2.5秒の轟音。世界がブレた。
そして、昇った。
これはジャコからの掲示だったんじゃないかな。
明日が晴れようと、地球がぶっ壊れようと、いきなりトカレフで頭ぶっぱなされてしまおうと、飼い犬に蔑んだ目で見下されようと(笑)
何がどうなったって構わない。
それだけを思わせるミュージシャンがいるだろうか。
ジャコはジャコの全てを演ったんだ。
やっちゃたんだ。
その後ウェザー・リポートを脱退した頃からジャコの生活は荒れはじめ、コカインに溺れたり双極性障害 (躁鬱病) に悩まされ、来日コンサート・ツアー中にも奇行が目立つようになり、帰国後はドラッグ更生施設へ入ったが、入退院を繰り返していた。
そして1987年9月11日、サンタナのライブに飛び入りしようとしたところ、警備員が知らなかったのか当時の姿からジャコ本人だとは信じられず会場から追い出されてしまい、失意の中で訪れた「ミッドナイト・ボトルクラブ」という店に泥酔している状態で入ろうとしたところ、空手技能を持ち合わせたガードマンと乱闘になってしまい、ジャコは投げ飛ばされた弾みで倒れた際、鋭角な箇所に頭部を強打してしまい脳挫傷による意識不明の重体 に陥ってしまった。
病室では昏睡状態が続いて一向に意識回復などの兆しがみられず、植物状態としてかろうじて心臓だけは動き続けていた。親族による話し合いの末、ジャコの父親により人工呼吸器が外され、1987年9月21日、21時25分、親族と病院関係者らが見守る中、永眠。
ジャコはイノベーターとして世界中からの期待を掛けられたまま、彼の生まれ故郷であるフロリダの地で35年9か月あまりの短い生涯を閉じた。
破滅的な人生だった。
だけど懸命に走り抜けた。誰よりも速く、強く。
史実と言っても、歴史はいつも”捏造”と共にあるものです。
しかしながら、私達にはとても幸運なことに、音源という”真実”が残されています。
それをですね、聞きながら、Powrerd by ググりながら、ライナーノーツ見つめながら、菊地成孔感じながら、ジャズの奏法、はたまた音楽全般の理論書片手にですね、夜中も丑三つ刻過ぎまでお勉強しております。
私の勉強したことを次回このBlogで紹介したいと思います。
皆さんのジャズの印象を変え、もっと近親感あるもので、そして少しでもジャズを好きになってくれたら嬉しいなと思っております。
ジャズ、というかこれまた音楽全般をより深く知る為には、音楽をやっていなかろうと技法の云々は最低限必要です。なぜならニューウェイブのヒットの陰には必ず新しい技法・思想の爆発、もしくは拡大が重要不可欠だからです。
ここの部分を音楽を知らない方達にも分かりやすく、さらっと理解出来るようご説明交えながら紹介したいと思います。
乞うご期待!!
本日は、Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)について。
天才ベーシストであり、破天荒。フロリダという、多くのベーシスト、パーカッショニストを生んだ土地にて生まれる。青年期はドラマーであったがが、13歳の時にフットボールの試合中、右手首を骨折してしまいシンバル・ワークにおいてドラムを続ける事が難しくなり、ベーシストへ転向した。
その後、あの伝説のフージョン ジャズバンド「ウェザー・リポート」の正ベーシストなる。主要メンバーであるジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターに自分のデモテープを送り、熱烈なラブコールの成果であった。
このウェザーリポートは1960年代、「イギリスの襲来」と呼ばれる事件、つまりはビートルズやストーンズ、ザ・フー等のイギリスロック軍団が、アメリカの音楽シーンを独占し始め、ジャズがその存在意義、大衆音楽から芸術への脱皮を模索している時期に生まれました。(正確には1971年結成)
1950年代はジャズがアメリカの大衆音楽でした。ですから、アートというよりは多くの人に愛される音楽だったのです。しかしながら、黒人に対しての弾圧も苛烈な時代にも関わらず、やはり音楽の歴史は必ず黒人の衝動、持って生まれたアフリカンな遺伝子から始まるのです。あの帝王マイルスでさえ、50年代は下手クソな白人ジャズメンとコンサートをしなければなりませんでした。いくらマイルスがシーンのNo.1成りたがり、かっこうつけまくりマン(笑)とはいえ、ジャズメンの誇りとの葛藤があったことでしょう。
こそそれは他のジャズジャイアンツでさえ同じです。
そこに現れた60年代のイギリスロック軍団。
さらにはジャズは元々セッションの中で生まれたものであり、生ライブでこそ!という概念が固着していました。そこに追い打ちをかけるようなレコーディング技術と、電子音楽の振興。ジャズはピアノ、トランペット、ベース等の生楽器を使用しますが、少し学理的なことを言うと、これら生楽器には「余計な音」が存在しないのです。18世紀バッハ以降急速に発展した12音平均律というものが基盤となっていて、これは要はピアノの白と黒をの鍵盤を足すと12個であり、その音と音の幅は均等な調整をなされている ということなんです。
つまりジャズはこの12音以外の音はノイズとさえ考えられていて、この電子音 今で言うシンセサイザーの音程や、ギターアンプの音、アフリカンドラムス(パーカッションやコンガ)にはたくさん12音以外の音が含まれていて、そんなもんジャズにはいらねーと言った訳ですよ。
録音と電子音楽の発展とシーンへの大普及、はたまたジャズの生演奏主義とアンチ電子音。
対立する。
その果てに、ジャズは自分達の領域を神聖化する為にメインストリームから消えていったのです。
しかし、全てのジャズメンがそうなわけでは勿論ありません。
マイルス、オーネットコールマン、コルトレーン、エリックドルフィン等は、50年代の良きジャズ時代(ビバップ期)をより進化させようと思索します。
マイルスはエレクトロを導入します。それは流行の電子音を導入させたかっただけでは当然ながらありません。
電子音でしかやれなかったジャズをやりたかったからです。
かっこいい...。
今書きながら震えてますよ!
そのマイルスのエレクトロ期に共にバンドをしていたのが、ウェザーリポートのジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターなんです!!
ふー、やっとウェザリポに帰ってこれた。(笑)
かなーり遠回りしました。笑
でも歴史と個的感情がスパークすると文章も長くなっちゃいますよ。
しかもこんな素敵なジャズ史ですから。
さてさて、私はこの時期のマイルスバンドが一番大好きなんです。
この辺は次回以降で説明しますが、生楽器ジャズとしての(技法も踏まえて)、最高の状態に昇華されていると思います。
このジャズの変遷期の始まりは、マイルスの「Kind Of Blue」というアルバムがありますが、こりゃ名作です。
押し殺したような、吐息ひとつにも究極の神経が必要なほどの緊迫感とジャズのキラビやかな艶、セクシーさが全開です。
現在でもビルボード、あなたが選ぶ最高の的な(笑)ジャズアルバムのトップ5に必ず入ってきます。モノホンです。
さあ、TUTAYAにゴー!!笑
そんな時期からマイルスバンドに加入したウェイン・ショーター。後にジョー・ザヴィヌルも加入します。
こんな恐ろしい程にジャズを突き詰める時期に、帝王マイルスと共に音楽制作を行った二人が作ったバンドがウェザー・リポートなんです。凄くないはずがないよね。
このバンドはマイルスよりももっとありのままに(ノイズも大切に)電子音を導入した、ジャズ界の大革命バンドなんです。電子音を「自然」と捉えたんです。凄い。
さあ、TUTAYAにゴー!!笑
これだけTUTAYA推してるんだから、金貰わなきゃ。笑
やっとジャコに戻ります。笑
ジャコはそのひとつひとつの音がジャコだった。
今までには考えられないようなベースラインを発した。
巧みで、情熱的で、荒々しく、繊細で。
ジャコは慢性的な鬱病で、コカイン大好き、そして元から変人だった。
だけど、人前では陽気で気さくだった。
笑顔の綺麗な男性だった。
私は初めてジャコの「Amelia」という曲を聞いた。
確かLive ver.でWayne CochranとThe C.C. Ridersと連名だが、ジャコのベースは唸っていた。
空間を凌駕し、大蛇のように極太なベースラインが暴れ回り、時に小さな点をドンピシャで突くように...。
私は泣いた。
失神した。
そして音楽に、このクズのような私のマインドを捧げてきて本当に良かったと思った。
何も言うことはないよ、神の啓示かとさえ思ったんだ。
頭から離れない。どんな事象も思慮も持っていかれる。
昼間に聞いた2.5秒の轟音。世界がブレた。
そして、昇った。
これはジャコからの掲示だったんじゃないかな。
明日が晴れようと、地球がぶっ壊れようと、いきなりトカレフで頭ぶっぱなされてしまおうと、飼い犬に蔑んだ目で見下されようと(笑)
何がどうなったって構わない。
それだけを思わせるミュージシャンがいるだろうか。
ジャコはジャコの全てを演ったんだ。
やっちゃたんだ。
その後ウェザー・リポートを脱退した頃からジャコの生活は荒れはじめ、コカインに溺れたり双極性障害 (躁鬱病) に悩まされ、来日コンサート・ツアー中にも奇行が目立つようになり、帰国後はドラッグ更生施設へ入ったが、入退院を繰り返していた。
そして1987年9月11日、サンタナのライブに飛び入りしようとしたところ、警備員が知らなかったのか当時の姿からジャコ本人だとは信じられず会場から追い出されてしまい、失意の中で訪れた「ミッドナイト・ボトルクラブ」という店に泥酔している状態で入ろうとしたところ、空手技能を持ち合わせたガードマンと乱闘になってしまい、ジャコは投げ飛ばされた弾みで倒れた際、鋭角な箇所に頭部を強打してしまい脳挫傷による意識不明の重体 に陥ってしまった。
病室では昏睡状態が続いて一向に意識回復などの兆しがみられず、植物状態としてかろうじて心臓だけは動き続けていた。親族による話し合いの末、ジャコの父親により人工呼吸器が外され、1987年9月21日、21時25分、親族と病院関係者らが見守る中、永眠。
ジャコはイノベーターとして世界中からの期待を掛けられたまま、彼の生まれ故郷であるフロリダの地で35年9か月あまりの短い生涯を閉じた。
破滅的な人生だった。
だけど懸命に走り抜けた。誰よりも速く、強く。