ジャズ男のメラニン<1950年付近のアメリカと音楽 後編(本物)>
さて、今度こそ本当に50年代を締めましょう!笑
まずはバップ最初期に戻りチャーリーパーカーと共にモダンジャズを生み出したディジーガレスピーについて。
ディジーはパーカーと違って知性が優れていたと言われます。笑
パーカーは阿呆か。笑
自分の商業マネージメント、時代と表現の選択とバランスに優れていました。
まぁ勿論そこに人間的センス、ミュージシャンセンスが大きく関わるのですが。
パーカーが阿呆というよりは、ガレスピーは宗教上ヘロインをやらなかったんですね。また、バカみたく金を振り回さず質素に私生活を送りました。
この時代にジャズやっててヘロインやらないなんて、駅弁したことあるのに正常位したことないようなもんだぜ!笑
キスしたことあるけど、手は繋がない という、高倉健イズム(a.k.a. 不器用ですからイズム)とは訳が違うんだ。
健さんはさー、手なんか繋がなくったって、目だけで女はラリっちゃうから。笑
かっけーなー。
ディジー(dizzy)とは、くらくらするという意味で、ステージ上で茶目っ気のあったそのキャラクター、もしくは超絶技巧で目も眩むほどのテクニックを持っていたからだとか諸説ありますね。
曲がったトランペットがトレードマークですが、これは1954年に妻の誕生日パーティーにて、痴話喧嘩で転んだ客がガレスピーのトランペットを尻餅で曲げてしまった。
怒りっぽいガレスピーは怒り心頭になりますが、「おや、これ音どうなの?」と吹いてみると気にいっちゃったみたいです。
曲がったトランペットを吹きたいって思うんだから、人間曲がってますよね。笑
長谷部か僕くらいのもんだ。笑
曲がってんのは足だけにしろよ~!笑
ガレスピーの頬は全盛期の長谷部くらいよく伸びて、カエルのように巨大に膨らむ特異体質でした。
「ガレスピー パウチズ」という医学用語にもなってるそうです。
チャリー・ミンガスくらいに短期で、キャブ・キャロウェイ楽団在籍時には、演奏中に同楽団のベーシスト、ミルト・ヒントンに紙つぶてが投げられた。犯人はジョナ・ジョーンズだが、ディジーが濡れ衣を負わされ、キャブがどやしつけた所刃物で斬りつけるという激情型。(実際、ジョナ・ジョーンズの方が当時ガレスピーよりも、華麗でしなやかな演奏をしていたのでソロパートをとられてしまっていた。そこら辺のわだかまりもあるのか。)
ぜひガレスピーと一緒にセッションしたかったですね。レコーディングマイクにポテト当てた音入れたりしたら刺されますね。笑
ギターのシールドを茶碗蒸しにinしても刺されますね。笑
すぐにマッドハヤトですね。(血まみれ)
異様な緊張感の中でのセッション!
怖いですねー。笑
緊張感ついでに。
このバップ初期は、リズム隊が遅れたり、コードはさすがに外れないにしても、アドリブでふにゃ~とこぼしたり、全体でビシっと食う(1拍分音を切る)部分が揃わずガタガタになっていたりと、その音源と時期によってクオリティーが異なります。
それがどんなに逸脱したプレイヤーであっても、長時間の演奏とヘロイン効果でムラもあります。笑
多分演奏半ば辺りになってくるとヘロイン効いちゃって、巨大ワニに飲み込まれてお腹の中で一生暮らすことになったというスペクテイターの特集になりそうなお話や、
合コンで白と黒のルーレットを回して、止まった色を二頭の牛を上手に使ってタッチするゲームで、牛が移動してしまい、「はい、罰ゲーム~!」みたいな愉快でマジカルな世界が、脳に入れ替わり立ち替わり表れて、演奏外しちゃうんでしょうね。笑
ヘロインやってないのに、この妄想力!!笑
まずいよね~。笑
この話、また小説にしよう。笑
60年代の録音技術であれば、現在のレコーディングの主流でもある、オーバーダビングが可能です。これはまずバンド全員でピッチを決め、演奏します。それを元にリズム隊から録り、次にラッパやギター、そしてボーカルのように上乗せしていくレコーディング方法です。
つまり楽曲自体の「作品」としての在り方を尊重した録音方法だと思います。60年代にビートルズが初めて行った録音方法です。
しかし、ジャズは「生演奏で生楽器でなんぼじゃ~」というスタンスから、60年代のメインストリームでは殆どこのオーバーダビングで製作しているにも関わらず、生演奏でレコーディングしています。
ですから、Take1だとか2だとかが存在するんです。
生録りなので、ミュージシャン云々ではなく、やっぱりいい日悪い日、いい時間帯、悪い時間帯ってのはあります。また、海賊盤も数多くあります。笑
しかし、名演というものは数多くありますから、掘って下さいねー。
話をガレスピーに戻しますと、彼はアートブレイキー同様、アフロンキューバ (ラテンリズム)をジャズに持ち込んだ類い稀なる才能。
自身に内在するアフリカニズムと、情緒豊かな律動のラテンをジャズに移植しました。
Bebopという曲はビバップの語源にもなっています。
スリリングな展開で、頭のドラムのハイハットのオープン/クローズからして一級品です。
始めちょっとピアノが遅れるんですが、後はガレスピーの超絶トランペットが縦横無人に暴れ回ります。その後にピアノがもうめちゃくちゃスウィンギーでアクロバティックなソロがきます。これは全てのジャズピアニストの理想ないし妄想に(笑)帰結すると言っても過言ではなく、本当にスペクタクルです。その後、またメインテーマに戻ってきますが、そこでガレスピーとピアノのバッキングは熱い、スタイリッシュ、ワイルドの3冠ですわ。
さすがバップの語源となるだけのものを持っている名曲でしょう。
A Night in Tunisiaは、ジャズスタンダード中のスタンダードで、多くのミュージシャンが演奏しています。今でいうカバーになるのかな。
これはジャズ特有のカバーではなくガレスピーオリジナルです。
パーカッションが原始的で幽玄なアフリカニズムを演出し、クラリネットがチュニジア妖気を放ちます。ガレスピーもその上にのっかっちゃって、意気揚々と吹きあらします。なんと言ってもベースの3拍子のイヤらしいこと!笑 セクシャルで艶があります。
名作でございます。
というわけでガレスピーは間違いないと。
続いて、アフロンキューバ繋がりでアートブレイキーの紹介です。
ブレイキーは元々ピアニストでした。私に匹敵する位下手だったそうです。笑
それでもピアノを続けていたある日、演奏中にバーに来ていたマフィアに銃を突きつけられます。
「下手くそ! 死にたくなかったらおれの友人のドラマーより上手くドラム叩いてみろ」と脅されて、やむなくドラムを叩きます。
というか、マフィア怖え~!笑
めちゃくちゃですよね、要求が。
おまえの知り合いのドラマー誰だよっ てところからですよね。
てゆーか、マフィア ジャズ聞くのかよ。ってとこ。笑
勿論、直ぐに超絶テクニックと言われるほどの技術があったわけではありませんが、この時のドラミングてブレイキーが「おれはコレだ!」と確信したそうです。
思うのかよっ ところですな。笑
1961年は日本最大級のジャズブームがきます。その最も熱烈な歓迎のある時期に、ブレイキーも来日しました。空港にファンが溢れ、ブレイキー自身「誰か大物が同じ飛行機に乗ってたのか」と思っていたそうです。
ここで、印象的なエピソードがあります。
日本人のファンが一緒に写真を撮って下さいと頼むと、「おれは黒人だぞ、一緒に写真になんか入っていいのか?」とブレイキーが答えます。
60年代に入っても、まだ黒人差別は根深く残っています。
むしろ今でも残っています。
今も生き闘うURマイク・バンクスは言う。
「アメリカという国はね、オリンピックのようなときだけひとつのアメリカ人になろうとする。それはまったく空っぽな感覚だ。これは何も理解しない為の苦闘だ」と。
内部の自立と歪んだアイデンティティ(自分達が一番の人種だという哀れな誤認)を確保または擁立し、外部をみな殺戮する。
自分達を中心に置いて、他者を隅に排斥する。
デリック・メイは言う。
「黒人差別問題は60年代から変わっていない。今だに教育を受けられない子供達もいる。
学ぶことが出来なければ、ドラッグを売るか、ストリートファイトするしかない。
世界はあまりにも人種という概念に支配されている。人種に規定された政治が今でも続いている。」
デトロイトのように郊外の州はニューヨークのように面白いものがすぐにちやほやされたりしない。
差別と疎外感、そして自分自身も世界や歴史教育のシステムに侵されている部分があるとマイクは言った。それでも、自分のルーツを見つめ、ここが重要だが現状をやみくもでは決してなく冷静に見つめ、その悪しき世界のプログラムをぶっ壊す為、URは今日も闘う。
そのハングリー精神が、デトロイトのクリエイター達の音楽をハングリーでオリジナリティー溢れるものにした。
ムーディーマンは今も最も危険で貧困・ドラッグ・ギャングが蔓延するデトロイト東地区からメッセージを放ち続けているし、セオパリッシュは「政府はデトロイトのミュージックを好まない。なぜならDIYで生産している僕らの音楽は彼等にとって何の利益にもならない。それにデトロイトのミュージックに共鳴した者達の真実の思索や行動を恐れている。僕らはお金で音楽はやっていない、ただ僕らの心から伝えたいメッセージを求めてくれている人を大切にしたいんだ」
島国に文化を築いてきた我々日本人にとっては非常に難しい問題なのかもしれない。
白人全てが悪い訳では勿論ないし、結局はお金というバーチャルなシステムを作り出したのが白人なだけであって、このプログラムされた世界とそれが生み出す抑制と弾圧とコントロールがこんなにも黒人を苦境に立たせたのは確かだ。
そうゆう厳しい、本当に厳しい環境の中で、黒人達の想いやメッセージはよりシャープに研ぎすまされてきた。そして重要なことは彼等にっとて音楽とは生活の一部であることだ。仕事をしてお金を稼がなくてはならない というベーシックな意味ではなく、この厳しい環境のなかで音楽をするということ自体が、過去・歴史、文化、そして希望もすべて真に受け止めた上で活動しているという意味だ。
こうゆう凄まじいまでのスタイルを知って、何も知らない奴がアングラってかっこいいと口にし模倣する。私も決してゲットーという環境の多くを知っている訳ではない。大した音楽を作っているわけでもないが、それでも音楽で嘘をついたことはただの一度もない。
真実と、人間という生き物の美しさと激しい醜さ、救いようのない現代の構造、強い意志、希望を、出来うる限りストイックに自分に問い、音楽してきたつもりだ。
どちらが正しい、何が正しいとか言うよりも、ちゃんと向き合うことだ。
この世界にはあまりにも”人間以上の力”(権力)がはびこり、それが規定となりすぎている。
その誤った力によって、苦しんでいる人が沢山いる。全ての力になれるわけではないことは十分理解している。それでも見たものを見過ごすほど利口ではない。人間らしく、素直に、人を想い生きようとすると、あらゆる不条理に苛まれ、それによって苦しんでいる人の痛みに感化してしまう。
遵守、真面目 が正しいなんて、ひとかけらも思っていない。
むしろ大抵の場合、悪だ。
不条理を整形するような社会構造を遵守するなんてクソだ。
混沌を飲み込めない奴なんてものごとを真剣に見ていない証明だ。
だって、人間みな混沌じゃないか。自分とよく向き合えてる奴は、わかっているはずだ。人間特有の不均一さを。
人として当たり前のピュアな感情を排他して生きるくらいなら死んだほうがマシだ。
世の中には戦争が正しいと思うクソもいる。
人が人を殺すことを正しいはずがない。
そうゆうピュアでシンプルな感情を大切に生き、考え、行動していくべきだ。
話の流れで、黒人差別に対するアプローチをしたMJQ(モダンジャズカルテット)
ミルト・ジャクソン、ジョン・アーロン・ルイス、パーシー・ピース、ケニー・クラークによるカルテット。
ジャクソン、ルイス、クラークはガレスピー楽団に4年間共に在籍していた。結成当時はジャクソンが作編曲していたが、のちにピアノのルイスがリーダーとなりMJQの高貴なサウンドを確立していきます。
ルイスの妻はクラシックピアニストであり、ルイス自身もクラッシックの探究に熱心でした。
ジャズの精神を、クラッシックの対位法で。というのがMJQのスタイルでした。
「パンクの精神で、ロックンロール」なニルヴァーナのような融合思想。
まぁ、音楽のベースがクラシックですから当然その装いは荘厳で繊細で静謐です。これがクールジャズの流行り出したこの時代に見事にマッチング。
バップの粗野で荒々しい所が馴染めなかった人達や、ジャズは聞いていなかったがクラシックは好きだった人達を中心にヒットします。
そしてMJQは非常にコスモポリタニズムが強く、存在意義や人権排他論的なな主張を押し出しました。
演奏スタイルは、白人のようにスーツを着込み、音楽は人種•民族を問わず共感し素晴らしいものであることを訴えます。
それでは名曲、不世出のギターリスト ジャンゴ・ラインハルトに捧げた代表曲を紹介しましょう。
Django
室内音楽的なヨーロッパクラッシック質を持ちながら、やはりジャズの黒さもしっかり全体に振りかけられていて、大変クールでよく構成された素晴らしい音楽だと思います。
裕次郎がタバコを吹かしてる絵が見えます。笑 ポーカーをやってますね。笑
出たとこついでにジャンゴ・ラインハルトについて少し。
ジャンゴは生まれながらジプシーで、家族と共にヨーロッパを巡業してました。自然と身についたギターの演奏力で10代の頃から音楽で稼いでいましたが、ある日火事により左手の薬指と小指が麻痺します。しかし、それでも残った2本の指で(ギターのフレットを抑える指は親指は使用しない)自らを磨き、さらに素晴らしい演奏力を得ます。
クリスチャンに次ぎ、ジャズにおけるギターのあり方を見い出した人であります。また、ヨーロッパ初のジャズミュージシャンでもありますね。
彼をインスパイアし、ヨーロッパを訪ねた人間は数知れず。
デューク・エリントン楽団とのコンサート時には、デュークが演奏曲のコードを伝えると、ジャンゴは「そのようなものは知らない」と言ったエピソードがあります。
生まれながらのギターリストには、コードや公理は身体に宿っているのでしょう。
アルペジオの組み立て方やコードケーデンスもかなり独特です。
一時期はマンションに定住していましたが、中年期にはまたジプシー車で暮らすようになります。
昔うちの庭で真夜中の4つ打ちBBQをした際に、長谷部はそのまま庭で寝てしまった。
母ちゃんが顔の白い長谷部を見て、死体かと思ったらしい。笑
確認の為、テーブルの上にあったトングで頭を殴ったら生きていたそうです。笑
手で叩いたり、揺すったりして確認しようよ。笑
どこでも寝れること。
そしてトングで起こされても怒らない。
それがジプシーの条件。
母ちゃんは、「いや~、顔が青白かったから、完全に死体だったよ」と言っていました。
「うん、あいつ時々死ぬんだよ。ソフトにね。」
man of the 死体。笑
まぁ、こんなとこで50年代のご紹介を開きます。
実際次のタームには、世界基準に屹立、安定した”バークリーメソッド lovesジャズ”という最愛のコンビですが、安定と隆盛の後には必ず進化と破壊があるのが人の世の常です。
理論的には、コルトレーンがバークリーメソッドを極限までに高めれば、マイルスがモードジャズを生み出します。
精神や表現においてでも変化はめまぐるしく、アイラーがドルフィンがオーネットが異次元に迎います。笑
正確には50年代末からですが、60年代フリージャズ期を次回公開したいと思います!!
まずはバップ最初期に戻りチャーリーパーカーと共にモダンジャズを生み出したディジーガレスピーについて。
ディジーはパーカーと違って知性が優れていたと言われます。笑
パーカーは阿呆か。笑
自分の商業マネージメント、時代と表現の選択とバランスに優れていました。
まぁ勿論そこに人間的センス、ミュージシャンセンスが大きく関わるのですが。
パーカーが阿呆というよりは、ガレスピーは宗教上ヘロインをやらなかったんですね。また、バカみたく金を振り回さず質素に私生活を送りました。
この時代にジャズやっててヘロインやらないなんて、駅弁したことあるのに正常位したことないようなもんだぜ!笑
キスしたことあるけど、手は繋がない という、高倉健イズム(a.k.a. 不器用ですからイズム)とは訳が違うんだ。
健さんはさー、手なんか繋がなくったって、目だけで女はラリっちゃうから。笑
かっけーなー。
ディジー(dizzy)とは、くらくらするという意味で、ステージ上で茶目っ気のあったそのキャラクター、もしくは超絶技巧で目も眩むほどのテクニックを持っていたからだとか諸説ありますね。
曲がったトランペットがトレードマークですが、これは1954年に妻の誕生日パーティーにて、痴話喧嘩で転んだ客がガレスピーのトランペットを尻餅で曲げてしまった。
怒りっぽいガレスピーは怒り心頭になりますが、「おや、これ音どうなの?」と吹いてみると気にいっちゃったみたいです。
曲がったトランペットを吹きたいって思うんだから、人間曲がってますよね。笑
長谷部か僕くらいのもんだ。笑
曲がってんのは足だけにしろよ~!笑
ガレスピーの頬は全盛期の長谷部くらいよく伸びて、カエルのように巨大に膨らむ特異体質でした。
「ガレスピー パウチズ」という医学用語にもなってるそうです。
チャリー・ミンガスくらいに短期で、キャブ・キャロウェイ楽団在籍時には、演奏中に同楽団のベーシスト、ミルト・ヒントンに紙つぶてが投げられた。犯人はジョナ・ジョーンズだが、ディジーが濡れ衣を負わされ、キャブがどやしつけた所刃物で斬りつけるという激情型。(実際、ジョナ・ジョーンズの方が当時ガレスピーよりも、華麗でしなやかな演奏をしていたのでソロパートをとられてしまっていた。そこら辺のわだかまりもあるのか。)
ぜひガレスピーと一緒にセッションしたかったですね。レコーディングマイクにポテト当てた音入れたりしたら刺されますね。笑
ギターのシールドを茶碗蒸しにinしても刺されますね。笑
すぐにマッドハヤトですね。(血まみれ)
異様な緊張感の中でのセッション!
怖いですねー。笑
緊張感ついでに。
このバップ初期は、リズム隊が遅れたり、コードはさすがに外れないにしても、アドリブでふにゃ~とこぼしたり、全体でビシっと食う(1拍分音を切る)部分が揃わずガタガタになっていたりと、その音源と時期によってクオリティーが異なります。
それがどんなに逸脱したプレイヤーであっても、長時間の演奏とヘロイン効果でムラもあります。笑
多分演奏半ば辺りになってくるとヘロイン効いちゃって、巨大ワニに飲み込まれてお腹の中で一生暮らすことになったというスペクテイターの特集になりそうなお話や、
合コンで白と黒のルーレットを回して、止まった色を二頭の牛を上手に使ってタッチするゲームで、牛が移動してしまい、「はい、罰ゲーム~!」みたいな愉快でマジカルな世界が、脳に入れ替わり立ち替わり表れて、演奏外しちゃうんでしょうね。笑
ヘロインやってないのに、この妄想力!!笑
まずいよね~。笑
この話、また小説にしよう。笑
60年代の録音技術であれば、現在のレコーディングの主流でもある、オーバーダビングが可能です。これはまずバンド全員でピッチを決め、演奏します。それを元にリズム隊から録り、次にラッパやギター、そしてボーカルのように上乗せしていくレコーディング方法です。
つまり楽曲自体の「作品」としての在り方を尊重した録音方法だと思います。60年代にビートルズが初めて行った録音方法です。
しかし、ジャズは「生演奏で生楽器でなんぼじゃ~」というスタンスから、60年代のメインストリームでは殆どこのオーバーダビングで製作しているにも関わらず、生演奏でレコーディングしています。
ですから、Take1だとか2だとかが存在するんです。
生録りなので、ミュージシャン云々ではなく、やっぱりいい日悪い日、いい時間帯、悪い時間帯ってのはあります。また、海賊盤も数多くあります。笑
しかし、名演というものは数多くありますから、掘って下さいねー。
話をガレスピーに戻しますと、彼はアートブレイキー同様、アフロンキューバ (ラテンリズム)をジャズに持ち込んだ類い稀なる才能。
自身に内在するアフリカニズムと、情緒豊かな律動のラテンをジャズに移植しました。
Bebopという曲はビバップの語源にもなっています。
スリリングな展開で、頭のドラムのハイハットのオープン/クローズからして一級品です。
始めちょっとピアノが遅れるんですが、後はガレスピーの超絶トランペットが縦横無人に暴れ回ります。その後にピアノがもうめちゃくちゃスウィンギーでアクロバティックなソロがきます。これは全てのジャズピアニストの理想ないし妄想に(笑)帰結すると言っても過言ではなく、本当にスペクタクルです。その後、またメインテーマに戻ってきますが、そこでガレスピーとピアノのバッキングは熱い、スタイリッシュ、ワイルドの3冠ですわ。
さすがバップの語源となるだけのものを持っている名曲でしょう。
A Night in Tunisiaは、ジャズスタンダード中のスタンダードで、多くのミュージシャンが演奏しています。今でいうカバーになるのかな。
これはジャズ特有のカバーではなくガレスピーオリジナルです。
パーカッションが原始的で幽玄なアフリカニズムを演出し、クラリネットがチュニジア妖気を放ちます。ガレスピーもその上にのっかっちゃって、意気揚々と吹きあらします。なんと言ってもベースの3拍子のイヤらしいこと!笑 セクシャルで艶があります。
名作でございます。
というわけでガレスピーは間違いないと。
続いて、アフロンキューバ繋がりでアートブレイキーの紹介です。
ブレイキーは元々ピアニストでした。私に匹敵する位下手だったそうです。笑
それでもピアノを続けていたある日、演奏中にバーに来ていたマフィアに銃を突きつけられます。
「下手くそ! 死にたくなかったらおれの友人のドラマーより上手くドラム叩いてみろ」と脅されて、やむなくドラムを叩きます。
というか、マフィア怖え~!笑
めちゃくちゃですよね、要求が。
おまえの知り合いのドラマー誰だよっ てところからですよね。
てゆーか、マフィア ジャズ聞くのかよ。ってとこ。笑
勿論、直ぐに超絶テクニックと言われるほどの技術があったわけではありませんが、この時のドラミングてブレイキーが「おれはコレだ!」と確信したそうです。
思うのかよっ ところですな。笑
1961年は日本最大級のジャズブームがきます。その最も熱烈な歓迎のある時期に、ブレイキーも来日しました。空港にファンが溢れ、ブレイキー自身「誰か大物が同じ飛行機に乗ってたのか」と思っていたそうです。
ここで、印象的なエピソードがあります。
日本人のファンが一緒に写真を撮って下さいと頼むと、「おれは黒人だぞ、一緒に写真になんか入っていいのか?」とブレイキーが答えます。
60年代に入っても、まだ黒人差別は根深く残っています。
むしろ今でも残っています。
今も生き闘うURマイク・バンクスは言う。
「アメリカという国はね、オリンピックのようなときだけひとつのアメリカ人になろうとする。それはまったく空っぽな感覚だ。これは何も理解しない為の苦闘だ」と。
内部の自立と歪んだアイデンティティ(自分達が一番の人種だという哀れな誤認)を確保または擁立し、外部をみな殺戮する。
自分達を中心に置いて、他者を隅に排斥する。
デリック・メイは言う。
「黒人差別問題は60年代から変わっていない。今だに教育を受けられない子供達もいる。
学ぶことが出来なければ、ドラッグを売るか、ストリートファイトするしかない。
世界はあまりにも人種という概念に支配されている。人種に規定された政治が今でも続いている。」
デトロイトのように郊外の州はニューヨークのように面白いものがすぐにちやほやされたりしない。
差別と疎外感、そして自分自身も世界や歴史教育のシステムに侵されている部分があるとマイクは言った。それでも、自分のルーツを見つめ、ここが重要だが現状をやみくもでは決してなく冷静に見つめ、その悪しき世界のプログラムをぶっ壊す為、URは今日も闘う。
そのハングリー精神が、デトロイトのクリエイター達の音楽をハングリーでオリジナリティー溢れるものにした。
ムーディーマンは今も最も危険で貧困・ドラッグ・ギャングが蔓延するデトロイト東地区からメッセージを放ち続けているし、セオパリッシュは「政府はデトロイトのミュージックを好まない。なぜならDIYで生産している僕らの音楽は彼等にとって何の利益にもならない。それにデトロイトのミュージックに共鳴した者達の真実の思索や行動を恐れている。僕らはお金で音楽はやっていない、ただ僕らの心から伝えたいメッセージを求めてくれている人を大切にしたいんだ」
島国に文化を築いてきた我々日本人にとっては非常に難しい問題なのかもしれない。
白人全てが悪い訳では勿論ないし、結局はお金というバーチャルなシステムを作り出したのが白人なだけであって、このプログラムされた世界とそれが生み出す抑制と弾圧とコントロールがこんなにも黒人を苦境に立たせたのは確かだ。
そうゆう厳しい、本当に厳しい環境の中で、黒人達の想いやメッセージはよりシャープに研ぎすまされてきた。そして重要なことは彼等にっとて音楽とは生活の一部であることだ。仕事をしてお金を稼がなくてはならない というベーシックな意味ではなく、この厳しい環境のなかで音楽をするということ自体が、過去・歴史、文化、そして希望もすべて真に受け止めた上で活動しているという意味だ。
こうゆう凄まじいまでのスタイルを知って、何も知らない奴がアングラってかっこいいと口にし模倣する。私も決してゲットーという環境の多くを知っている訳ではない。大した音楽を作っているわけでもないが、それでも音楽で嘘をついたことはただの一度もない。
真実と、人間という生き物の美しさと激しい醜さ、救いようのない現代の構造、強い意志、希望を、出来うる限りストイックに自分に問い、音楽してきたつもりだ。
どちらが正しい、何が正しいとか言うよりも、ちゃんと向き合うことだ。
この世界にはあまりにも”人間以上の力”(権力)がはびこり、それが規定となりすぎている。
その誤った力によって、苦しんでいる人が沢山いる。全ての力になれるわけではないことは十分理解している。それでも見たものを見過ごすほど利口ではない。人間らしく、素直に、人を想い生きようとすると、あらゆる不条理に苛まれ、それによって苦しんでいる人の痛みに感化してしまう。
遵守、真面目 が正しいなんて、ひとかけらも思っていない。
むしろ大抵の場合、悪だ。
不条理を整形するような社会構造を遵守するなんてクソだ。
混沌を飲み込めない奴なんてものごとを真剣に見ていない証明だ。
だって、人間みな混沌じゃないか。自分とよく向き合えてる奴は、わかっているはずだ。人間特有の不均一さを。
人として当たり前のピュアな感情を排他して生きるくらいなら死んだほうがマシだ。
世の中には戦争が正しいと思うクソもいる。
人が人を殺すことを正しいはずがない。
そうゆうピュアでシンプルな感情を大切に生き、考え、行動していくべきだ。
話の流れで、黒人差別に対するアプローチをしたMJQ(モダンジャズカルテット)
ミルト・ジャクソン、ジョン・アーロン・ルイス、パーシー・ピース、ケニー・クラークによるカルテット。
ジャクソン、ルイス、クラークはガレスピー楽団に4年間共に在籍していた。結成当時はジャクソンが作編曲していたが、のちにピアノのルイスがリーダーとなりMJQの高貴なサウンドを確立していきます。
ルイスの妻はクラシックピアニストであり、ルイス自身もクラッシックの探究に熱心でした。
ジャズの精神を、クラッシックの対位法で。というのがMJQのスタイルでした。
「パンクの精神で、ロックンロール」なニルヴァーナのような融合思想。
まぁ、音楽のベースがクラシックですから当然その装いは荘厳で繊細で静謐です。これがクールジャズの流行り出したこの時代に見事にマッチング。
バップの粗野で荒々しい所が馴染めなかった人達や、ジャズは聞いていなかったがクラシックは好きだった人達を中心にヒットします。
そしてMJQは非常にコスモポリタニズムが強く、存在意義や人権排他論的なな主張を押し出しました。
演奏スタイルは、白人のようにスーツを着込み、音楽は人種•民族を問わず共感し素晴らしいものであることを訴えます。
それでは名曲、不世出のギターリスト ジャンゴ・ラインハルトに捧げた代表曲を紹介しましょう。
Django
室内音楽的なヨーロッパクラッシック質を持ちながら、やはりジャズの黒さもしっかり全体に振りかけられていて、大変クールでよく構成された素晴らしい音楽だと思います。
裕次郎がタバコを吹かしてる絵が見えます。笑 ポーカーをやってますね。笑
出たとこついでにジャンゴ・ラインハルトについて少し。
ジャンゴは生まれながらジプシーで、家族と共にヨーロッパを巡業してました。自然と身についたギターの演奏力で10代の頃から音楽で稼いでいましたが、ある日火事により左手の薬指と小指が麻痺します。しかし、それでも残った2本の指で(ギターのフレットを抑える指は親指は使用しない)自らを磨き、さらに素晴らしい演奏力を得ます。
クリスチャンに次ぎ、ジャズにおけるギターのあり方を見い出した人であります。また、ヨーロッパ初のジャズミュージシャンでもありますね。
彼をインスパイアし、ヨーロッパを訪ねた人間は数知れず。
デューク・エリントン楽団とのコンサート時には、デュークが演奏曲のコードを伝えると、ジャンゴは「そのようなものは知らない」と言ったエピソードがあります。
生まれながらのギターリストには、コードや公理は身体に宿っているのでしょう。
アルペジオの組み立て方やコードケーデンスもかなり独特です。
一時期はマンションに定住していましたが、中年期にはまたジプシー車で暮らすようになります。
昔うちの庭で真夜中の4つ打ちBBQをした際に、長谷部はそのまま庭で寝てしまった。
母ちゃんが顔の白い長谷部を見て、死体かと思ったらしい。笑
確認の為、テーブルの上にあったトングで頭を殴ったら生きていたそうです。笑
手で叩いたり、揺すったりして確認しようよ。笑
どこでも寝れること。
そしてトングで起こされても怒らない。
それがジプシーの条件。
母ちゃんは、「いや~、顔が青白かったから、完全に死体だったよ」と言っていました。
「うん、あいつ時々死ぬんだよ。ソフトにね。」
man of the 死体。笑
まぁ、こんなとこで50年代のご紹介を開きます。
実際次のタームには、世界基準に屹立、安定した”バークリーメソッド lovesジャズ”という最愛のコンビですが、安定と隆盛の後には必ず進化と破壊があるのが人の世の常です。
理論的には、コルトレーンがバークリーメソッドを極限までに高めれば、マイルスがモードジャズを生み出します。
精神や表現においてでも変化はめまぐるしく、アイラーがドルフィンがオーネットが異次元に迎います。笑
正確には50年代末からですが、60年代フリージャズ期を次回公開したいと思います!!