ミッドナイト ランニング
3月11日。
あれから10日余りが過ぎた。
多くの魂と生活を飲み込み、そこにあったものが無くなった。
僕はというと、悲哀に沈んで呆然と違う景色を感じてた。
毎日泣いて、不安に明け暮れても、立ち止まる暇もないほど事態は悪化していった。
一番近くにある大切なものに、「半分こ」預け、預かり、共鳴と小さな再生を繰り返す。
震えは誠実な肉体反応であり、それを補おうと手を握り締める。
私達は本当に失くしてばかり。
それで、いつもそうなってから見つかる大切なものに救われる。
暗闇が辺りを覆えば、それはより輝いてそこに見える。
ダンスミュージックが暗い地下に集わせるのも、セックスの時灯りを暗くするのも、「光」をより鋭く感じるためなんだろう。
停電は脱原発への練習だ。
そう思えば大したことじゃあない。
東北の方々は今も東京よりずっと厳しい環境で静かに呼吸している。
少しだけ落ちついて、今もう一度立ち上がる為の準備期間に入っていることだろう。
無理に、頑張れ、立ち上がれなどと言うことはない。
希望に芽が出始めるには、まだもう少しかかることと思われます。
私達に出来ることは、継続的な支援です。今だけの支援など割と誰にでも出来ます。
とにかく、脇目もふらず駆け抜けた10日余りでしたが、少しずつやるべきことと、情報の選択が出来るようになった。
1年ほど前から反原発を謳い、講演会や勉強を重ねてきた。
それでも、今この一刻を争うような状況に投げ出されてみると、もっともっと勉強すべきだったと後悔する。
その懺悔を取り戻そうと、怒りを知求にかえて...。
押し黙る過程は、しんしんと降り積もる雪道のやう。
修羅に取り込まれる前に、いつも彼女が手を差し伸べてくれる…。
大人とは、裏切られた子供なのか。
今回の災害は、現代の情報社会の欠点をも浮き彫りにした。
ひとつには政府、メディアの情報の隠蔽、及び操作。
そして、個人個人の膨らんだり、萎んだりしたあまりに氾濫した情報数。
こんなことさえ起きなければ、反原発について浅はかな情報は、現在の1万分の1、いや100万分の1ほどだろう。
興味本意の発言、勉強不足な情報、楽観視し過ぎな意見、読む人の心理を無視したつぶやき、冷やかしのようなデータ、魑魅魍魎な世界観。
勿論、その中に正しい(であろう)情報も僅かに存在する。
正しいと思える情報には、甘さも毒もないのだ。
ただ、正しいのである。
今までやってきたことと、今ある情報を貪り、ようやく気付かせてもらったことだ。
「あいつは阿呆だ、馬鹿だ。」
と云われるのはお構いなしさ。
それでも伝えるべきことは伝える。
言わなきゃならないことは言う。
言わなきゃならないことは言わなかったから、今こんな事態になっているんだ。
声を大にして。
そうして学んで、分かち合えれば、何と呼ばれようと構わない。
まだまだわからないことだらけだ。
原発のことも、人間の神秘も。
人間は現代の科学では扱えないものを作ってしまったんだ。
そして、それを社会の責任とするならば、その一員である私達ひとりひとりの責任でもある。
何が起こるか、もうわからないところまできてると思います。
それでもこれだけは信じようと思う。
人の力 ってやつを。
おれは試してみようと思うんだ。
この体と心で。
放射能だろうが、歪んだ政府だろうが、思いっきりぶつかってやるよ。
そんなにやわじゃねーだろ。
宇宙から始まって、氷河期だって何だって、人間は営みを続けてきたんだ。
精神と肉体を一致させて、大自然に感謝し、光を念じる。
こうゆう時ほど、シンプルなものや感情が、尊く愛おしく満たしてくれる。
大切な人が、隣で安らかに眠る顔を見ながら…。
大切な人を大切にする。
それだけで救われるような、強くなれるような、どこか都合のいいアンニュイな観念に深く沈みながら眠ります。
おやすみ。
あれから10日余りが過ぎた。
多くの魂と生活を飲み込み、そこにあったものが無くなった。
僕はというと、悲哀に沈んで呆然と違う景色を感じてた。
毎日泣いて、不安に明け暮れても、立ち止まる暇もないほど事態は悪化していった。
一番近くにある大切なものに、「半分こ」預け、預かり、共鳴と小さな再生を繰り返す。
震えは誠実な肉体反応であり、それを補おうと手を握り締める。
私達は本当に失くしてばかり。
それで、いつもそうなってから見つかる大切なものに救われる。
暗闇が辺りを覆えば、それはより輝いてそこに見える。
ダンスミュージックが暗い地下に集わせるのも、セックスの時灯りを暗くするのも、「光」をより鋭く感じるためなんだろう。
停電は脱原発への練習だ。
そう思えば大したことじゃあない。
東北の方々は今も東京よりずっと厳しい環境で静かに呼吸している。
少しだけ落ちついて、今もう一度立ち上がる為の準備期間に入っていることだろう。
無理に、頑張れ、立ち上がれなどと言うことはない。
希望に芽が出始めるには、まだもう少しかかることと思われます。
私達に出来ることは、継続的な支援です。今だけの支援など割と誰にでも出来ます。
とにかく、脇目もふらず駆け抜けた10日余りでしたが、少しずつやるべきことと、情報の選択が出来るようになった。
1年ほど前から反原発を謳い、講演会や勉強を重ねてきた。
それでも、今この一刻を争うような状況に投げ出されてみると、もっともっと勉強すべきだったと後悔する。
その懺悔を取り戻そうと、怒りを知求にかえて...。
押し黙る過程は、しんしんと降り積もる雪道のやう。
修羅に取り込まれる前に、いつも彼女が手を差し伸べてくれる…。
大人とは、裏切られた子供なのか。
今回の災害は、現代の情報社会の欠点をも浮き彫りにした。
ひとつには政府、メディアの情報の隠蔽、及び操作。
そして、個人個人の膨らんだり、萎んだりしたあまりに氾濫した情報数。
こんなことさえ起きなければ、反原発について浅はかな情報は、現在の1万分の1、いや100万分の1ほどだろう。
興味本意の発言、勉強不足な情報、楽観視し過ぎな意見、読む人の心理を無視したつぶやき、冷やかしのようなデータ、魑魅魍魎な世界観。
勿論、その中に正しい(であろう)情報も僅かに存在する。
正しいと思える情報には、甘さも毒もないのだ。
ただ、正しいのである。
今までやってきたことと、今ある情報を貪り、ようやく気付かせてもらったことだ。
「あいつは阿呆だ、馬鹿だ。」
と云われるのはお構いなしさ。
それでも伝えるべきことは伝える。
言わなきゃならないことは言う。
言わなきゃならないことは言わなかったから、今こんな事態になっているんだ。
声を大にして。
そうして学んで、分かち合えれば、何と呼ばれようと構わない。
まだまだわからないことだらけだ。
原発のことも、人間の神秘も。
人間は現代の科学では扱えないものを作ってしまったんだ。
そして、それを社会の責任とするならば、その一員である私達ひとりひとりの責任でもある。
何が起こるか、もうわからないところまできてると思います。
それでもこれだけは信じようと思う。
人の力 ってやつを。
おれは試してみようと思うんだ。
この体と心で。
放射能だろうが、歪んだ政府だろうが、思いっきりぶつかってやるよ。
そんなにやわじゃねーだろ。
宇宙から始まって、氷河期だって何だって、人間は営みを続けてきたんだ。
精神と肉体を一致させて、大自然に感謝し、光を念じる。
こうゆう時ほど、シンプルなものや感情が、尊く愛おしく満たしてくれる。
大切な人が、隣で安らかに眠る顔を見ながら…。
大切な人を大切にする。
それだけで救われるような、強くなれるような、どこか都合のいいアンニュイな観念に深く沈みながら眠ります。
おやすみ。