第一章 島の家族
本土から高速フェリーに乗って1時間ほどの北西に位置する貝楼諸島。その南西に位置する花瀬島で私は生まれ育ちました。比較的温暖な気候の土地であるため自然の恵みを生かした地場産業が盛んであり、園芸農業も有名です。街には温泉街もあり、かつては観光地としても賑わいを見せていたようです。しかし過疎化が進み、今では取り残されてしまった感もある古い商店街が島民の憩いの場となっています。
私の名前は夏美。私の本当の母は、私が小学1年生のころ船の事故で亡くなりました。夏の花のように元気で眩しい母の笑顔。黄色いひまわり畑で一緒に食べたお弁当は、涙が出るほど美味しかったことは憶えている。当時の母の思い出は、かけがえのない宝物だったのに、夏の蜃気楼のように頼りなく曖昧な記憶になってきました。ごめんね。お母さん。
島で漁師を営んでいた父は、母が死んで1年後、二人目の妻“和江”さんと再婚しました。
「今日からこの人がお母さんだ。」
とだけ紹介されました。人見知りする私は、どうしても彼女のことを「お母さん」と呼ぶことが出来ず一定の距離を置いていました。半年後、無類の酒好きだった父は泥酔して帰宅中、深さ10センチしかないドブ川に転落して溺死しました。
その日から和江さんは生活費を稼ぐために、死に物狂いで働いて私の面倒をみてくれました。朝から夕方は、港で海産物の加工業務。夜は遅くまで居酒屋で働いていました。しかし、収入面が苦しいせいか、私に男親がいたほうが良いと思ったのでしょうか。和江さんは再婚をします。
それは“毒蜘蛛のヤス”と呼ばれる背中に黒いクモのタトゥーが入った猟師の男でした。異常に体毛が濃く背中まで剛毛が生えていました。おかげで入れ墨のクモは3D仕様。生きているタランチュラのように禍々しく圧倒的な存在感がありました。初めて見た和江さんは半狂乱となりホウキを叩きつけていました。
彼は島の山々に生息する野生動物たちを独学で学んだ狩猟法で仕留めていました。強面の風貌と反して性格は優しく、私のことも気に掛けてくれました。たまにはケーキを買ってきてくれたり、宿題を手伝ってくれたりもしました。けれど吹き矢を咥えて野鳥を狩りに山へ入った際に、マムシに咬まれて死にました。毒蜘蛛もマムシには勝てなかったみたいです。
以前から疑問に思っていたことがあります。和江さんは男を見る目が無いのでは・・と。
この後次々と再婚を重ねるにつれ、それが確信に変わっていきます。再生回数が二桁の職業ユーチューバー。食事中も寝るときも、全身白塗りの前衛舞踏家。将軍様のTシャツを着た分りやすい工作員などなど・・。一度、和江さんに聞いてみました。
「ほんと、男見る目ないよね?」
和江さんの答えはこうでした。
「島の男は向いてないのかな。でもね、駄目な人を見るとほっとけないのよね。」
9人目の父親は92歳で自分の名前も何もかもスッキリ忘れてしまった老人。同居して3日。徘徊中に迷子になり犬に噛まれて死にましたが、私たちには彼の遺産が手に入りました。60歳になった和江さんは、これまでの波乱万丈の人生経験を生かし、山間の温泉街でストリップ小屋を始めます。
ストリップ小屋の入口で切符を売る和江さん。開演と同時に切符を売っていた和江さんがラジカセ担いで登場します。若い女の子が目的だったお客さんたちは激怒しました。
「帰れ!ババア!」
「引っ込めババア!」
容赦ない怒声が場内に飛び交います。ここで和江さんは不敵な笑みを湛えつつ生まれたままの姿になります。さらに太閤記の森光子のように、でんぐり返しをキメて枯れ果てた花園を見せつけます。
最初のころ、私は恥ずかしさのあまり和江さんをブン殴ったあと舌を噛んで死んでやろうと思いましたが、あのゲスなパフォーマンスは、母の次に登場する踊り子さんたちを引き立たせるための演出だったと思います。そう思うことにしました。今では心の底から尊敬できる母です。
そして、そのストリップ小屋でいつも最前列から罵声を浴びせていたヤカラが今の父です。興奮すると尿を漏らします。お店でも漏らしていました。相変わらず見る目ないなぁ。お母さん、今度こそ幸せになってよね。
第二章 島の恋
脳が目覚めた。時刻を確認する。どうやら朝のようだ。暗い部屋。よどんだ空気。厚いカーテンに遮られているせいで日差しは入ってこない。部屋の照明をつける。自動お掃除ロボットの電源をいれた。ロボットは進むべき道を探して歩み出した。
最近拾ってきた本を参考にした。『ときめきの片付け術』とある。『ときめく』とは一体何だろうか?調べると、喜びや期待などで興奮して胸の鼓動が高鳴ること書いてある。
なるほど。書いてあるとおり、ときめかないものはとにかく捨てることにした。穴の開いた靴下、黄ばんだ下着、色あせた洋服。履きつぶした靴。迷わず捨てた。とにかく心ときめかないものは捨てた。気がつくと部屋が空っぽになった。ときめくものがなかったからだ。
故郷を離れ、東京で暮らし始めて30年以上が過ぎた。今の職場では私はもう居場所がなかった。最新の機械が導入されたおかげで業務の効率化が劇的に向上されたようだ。私みたいな奴がいくら頑張って働いても、どうにも埋まらない差だった。ゴミと一緒に自分も捨てようかと思ったけど止めた。決めた・・もう引退しよう。飛ぶ鳥あとを濁さずと言うではないか。去り際ぐらいは美しくしたい。仕事を辞めて旅に出ることにした。
その夜は気がつくと、街をさまよい歩いていた。辺りを見ると、無数のネオンが星空のように灯り、夢色に輝いていた。私は吸い込まれるように1軒の古びたBARに入っていた。店内には客の姿は殆どなく、薄暗い灯と濃い夜の空気に満ちていた。会社では営業職だったおかげで接待など酒の席につくこともあった。味も分からずに、ただ酒を流し込んでいた。
BARのカウンターには1人の男が座っていた。40代から50代といったところか。スーツ姿で静かにブランデーを飲んでいるようだった。バーテンダーは無言でグラスを磨いていた。音楽はジャスがさりげなく流れている。ウイスキーを3杯飲んだところで客の男が話しかけてきた。
「どこかに旅にいかれるつもりですか?」
驚いた私の様子を見て男はこう続けた。
「何となくわかるのですよ。仕事に疲れて、一区切りつけようかと思われているのでしょう。良かったら旅の目的地として貝楼諸島の南東に位置する『花瀬島』を選ばれてはどうでしょう?あそこなら疲れた旅人をきっと癒やしてくれるはずです。」
次の日の朝、荷物もほとんど持たずに私は旅に出ることにした。「花瀬島」を目指して九州へ渡った。長崎から高速フェリーに乗り1時間半が経つと、ようやく島が見えてきた。港に到着すると島民に挨拶された。島外からの来訪者にも気軽に声をかけてくる気さくな人々のようだ。
都会で暮らしていると、なかなか自然と触れ合う時間はないが、この島では自然に触れることが日常のようだ。日光を浴びるだけで晴れやかな気持ちになるし、花や野菜の成長を見ることはとても心が満たされる気がした。
島で暮らし始めて数日後、島の中を散策していると、山の麓にひまわり畑があるのを見つけた。間違えようがないのに『ひまわり』とプレートに記されている。
農夫が畑で作業をしていた。よく見ると、左手は鎌型の義手を装着していた。草を刈り取っているようだ。私に気づいたのか、こちらをギロリとにらみ、無言で作業を再開した。近くの花畑には白い花が植えられている。花壇の前には『K4』と書かれたプレートがある。もしかして“ケシの花”かと思ったが、流石にそんな分かりやすい表記をする筈はないだろう。花の名前を尋ねるのは止めにした。
夜は寂れた繁華街へ向かった。小さな幸せを求め飲み屋を巡っていると、一際まばゆいネオンに照らされた店にたどり着いた。中に入ると女性が舞台に上がるところだった。彼女を観た瞬間、ギックリ腰のように体中に電気が走った。初恋の人に似ていた。いや、もしかしたら初恋の人かもしれなかった。十代の頃に好きだった、憧れの女性。彼女の面影が確かに感じられた。私は大声で彼女に名前を問いかけた。彼女は微笑みを返すだけだった
それから何回も通うようになり彼女と少しずつ心が通じ合う仲となっていった。いや私だけがそう思っているだけかもしれない。それでも私には満足だった。自分でも驚くが、この歳になってどうやら彼女に恋をしたようだ。そうフォーリン・ラブ。彼女の笑顔をみられるだけで幸せを感じられた。
彼女は、私の知らない色々なことを知っていた。海外、主にアジアのことも詳しかったし、ユーチューバーのことや前衛舞踏についても詳しかった。彼女もどうやら私のことを頼りにしてくれているようだ。残り少ない人生で唯一の喜びは、彼女の喜ぶ姿を見ることだと思った。それは何事にも代えがたいものだった。自分のことはどうなっても良い。ただ彼女を守りたかった。
やがて二人で暮らすようになった。どうやら彼女は老人の扱いには慣れているようだった。私がシャツを反対に着ても、小便を漏らしても、寝糞をしても嫌な顔は少しも見せなかった。私は昔から便が緩かった。体調が悪いときや、飲み過ぎたとき、時々寝糞をしてしまった。みんなが嫌な顔をするのに彼女だけは僕を責めなかった。何か辛いことがあっても、彼女の優しさにふれるたび、彼女の笑顔にふれるたびに私は救われたのだ。
数年後、私達は老人ホームへ入居することになった。私も彼女も足腰が弱り介助を必要としていたからだ。和江さんには娘さんがいたが、島を出て都会で働いていた。島の老人ホームでは人手不足もあり人型の掃除&コミュニケーション・ロボットが導入されていた。施設内をくまなく掃除してくれたし、老人達との話し相手にもなっていた。私の元職場と同じように、ロボットは勤勉に働いてくれていた。
そんなある日、和江さんが湯飲みに注いだお茶を床に落としてしまった。するとロボットが近寄ってきて彼女に乱暴を始めた。介護ロボットは最近どうも調子が悪いようで時々トラブルを起こしていたが、それを直してくれる人は誰もいなかったのだ。ロボットの暴走を止めなくてはいけない。
その時、施設の窓を突き破って男が入ってきた。よく見ると義手をつけた農夫だった。農作物の納品に来ていたようだ。彼の左手はチェーンソーが装着されていた。
「皆さん、こんにちはー!私と一緒に花を愛しましょうー!」
農夫は血走った目で叫んだ。完全に目がイッちゃっている。チェーンソーはうなりをあげて切り裂く相手を求めているようだ。
「思考回路と胴体を切り離してやろう。今すぐ楽にしてやるからな。イヒヒ・・。」
農夫はチェーンソーを切りつけた。
「ア・ブ・ナ・イ・カ・ラ・ヤ・メ・テ・ク・ダ・サ・イ」
ロボットは洗剤を農夫の顔面に噴射した。男は視界を奪われ、もがき苦しんでいる。私はロボットに体当たりをしたが、岩のように頑丈でビクともしなかった。
暴走したロボットは私を抱え上げて放り投げようとした。死ぬ!走馬灯のように和枝さ
んとの思い出が蘇った。気がつくと恐怖と力を入れたせいで尿と糞を垂れ流していた。するとロボットの動きが遅くなった。尿酸値が高いのが良かったかもしれない。そこへ農夫が叫びながら飛び込んできた。
「一緒にトリップしようー!」
チェーンソーがロボットの胴体へと食い込み、轟音を立てて切り裂いた。ロボットは胴体から折れ曲がり動かなくなった。
どうにか助かったようだ。何十年と働いてきた彼女のシワシワの手が震えていた。もう和枝さんを辛い目にあわせたくない。許されるのなら彼女の指に、指輪をはめてあげたい。和枝さん、私と幸せになってください。
この島の青い空に流れる雲。生命力溢れる緑の木々。赤い夕焼け。白い花が風に吹かれて静かに揺れている。どの景色も息を飲むほどに美しい。そして愛する和江さんは、今日も色鮮やかに微笑んでいた。
私は 花瀬島に ときめいている。