韓国人、中韓合作ドラマだと思ったほどの歴史捏造出来ず・・・。 | momongaの雄たけび・・・なんてね(*^-^*)

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気持ちは永遠の淑女・・。妻であり母でもあるmomongaが子育てに政治に思うところをぶつけてみるブログです。調べるほどに嫌いになる韓国に怒り爆発!!!ピグはちょっと無理よ・・。

韓国で最近放映された
『壬辰の乱1592』
という歴史ドラマですが
中韓合作
ということらしいです↓

NEWSPIM(韓国語)
http://www.newspim.com/news/view/20160913000336
 


12日(韓国時間)、オンラインコミュニティのカセンイでは、
KBSと中国CCTVの合作
による初の韓国型ファクチュアル(事実)ドラマとして製作された、
『壬辰倭乱1592』に対する日本ネチズンの反応を公開した。


日本ネチズンは、
「(※1)今までの戦争は忘れろ!“壬辰倭乱1592”が戦争の
歴史を書き直す」、
「(2)一句、
亀船の最終武器は波動砲」、
「(4)また無駄にに税金を使うんですね。
5年か10年後に
“日本は歴史を知らないな。
あのドラマを1回見ろ”と、
バカな事を言う者が出てくる」、

「(5)亀船??
ドラマで水漏れとか浸水す
る場面はあるのか?」、

「(6)韓国の国民性は落ちる所まで落ちているから大丈夫だ。
 中国で抗日ドラマで勝負をかける」、
「(22)ドラマや映画を事実だと信じるとか、芸能に魂を込める
韓国らしい」
などの反応を見せた。



(引用ここまで)

中韓合作ってことは
中国でも放映される

ってことなんでしょうかね。

韓国がいつもよりはちょっとばかし歴史を検証してみた結果
いろんなことが分かってきたようです↓
http://kankokunohannou.org/blog-entry-5879.html
「壬辰倭乱1592」の
亀甲船は

なぜ鉄甲船では
ないのか


亀甲は当時紙幣でも鉄甲船に描写されていて、人々も
そのように認識していた。海軍士官学校をはじめ、
亀甲船復元模型を見ると、一つのように天板が鉄で
覆われていることもある。

しかしKBS「壬辰倭乱1592」に登場する亀甲は鉄甲船では
ない。天板で覆われている姿ではなく、木の板の上に
ナイフを差し込んだ形で登場する。どちらが正しいのだろうか。
亀甲船をはじめ、「壬辰倭乱1592」の中の考証が事実で
あるかどうか確認してみた。

亀甲船は鉄甲船ではない?

亀甲船は原型が残っていないため、
鉄甲船か否かを明確に
判断するのが難しい。

しかしさまざまな資料を総合すると、
鉄甲船ではない可能性が大きい
というのが、今日の学界の大半の意見だ。

私たちの記録はどこを見ても亀甲船が鉄甲で作られた
という説明がない。李舜臣将軍の甥である方が書いた
「ヘンロク」には、亀甲に対して「上は板で覆われた。
板状にナイフときりが差し込んであり四方に足掛かりが
ないようにした」と記録しており、蘭州日記で李舜臣将軍は
「亀甲船を作ったが、金釘をさした」とだけ表現した。
つまり「壬辰倭乱1592」の考証が説得力がある。

壬辰倭乱1592」の亀甲船
 

(引用ここまで)

まあ
韓国の
現在の素晴らしい技術で
作ってみても

浸水して沈没しちゃう
のが亀甲船

らしいですので↓
http://horukan.com/blog-entry-2694.html
ネイバーニュース/KBS
http://goo.gl/crAaXv

 だが、実際に建造された亀甲船は期待と違いました。
 進水式を終えた後、1ヶ月足らずで「贋物」論議が巻き起こりました。
当初、亀甲船を国産金剛松で製作したという広報とは異なり、
輸入産木材を使った事実が明らかになったためです。
 施工業者の代表は拘束され、当時の知事が道民の前に頭を
下げて謝りました。 贋物論議が沈静化すると今回は「建造不良」
論議がおきました。 港に停泊しておいた
亀甲船の船体内部に
水が入り込んだためです。
侵入した水で船体が傾くほど
でした。

結局2013年2月、亀甲船は陸に上がってこなければならない
境遇になりました。
(中略)
同じ時期、巨済市も7億4千万ウォンを投じて亀甲船を作りました。
ところがこの亀甲船も開始から問題を起こしました。 2013年1月、
入港の途中で浸水した
のです。 船舶が外部の力と平衡を保つ能力に問題があるという
事実が明らかになりました。

(引用ここまで)

韓国人は亀甲船といえば鉄甲で覆われた世界初の郡先だって
すぐホルホルするんだけど↓

韓国人の脳内証拠による亀甲船
 

亀甲船が鉄甲船だったかどうか
はもちろんのこと、

どんな構造だったかとか
は実は全然分かっていなかった

ってことは以前から指摘されてたんですよね↓

http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/9523218.html
炉の長さも伝統ハンソンの場合倍の長さと同じか、
より長い櫓が使用されるが、亀甲船の長さよりもはるかに
短い奴が製作されて海戦で ​​帆を上げていない状況を
勘案すれば、
見た目だけ復元された模型船だ。
このような問題は、1592年壬辰倭乱当時製作された
亀甲船の長さと内部構造などを
詳細に記録した資料がなく、

約200年後に記録された"李忠武公全書"を根拠に
復元したからだ

 

↑年間の維持費は
1億5千万ウォン以上かかる
とみられ、考証に乏しい偽物亀甲船は
また陸に上がった格好だ

(引用ここまで)

今更、鉄板で囲まれてようがなかろうが
どうでもいいんですけどね・・・。
鉄板で外壁を覆った舟ならば
日本でも織田信長の時に
記録が残ってるんでしたっけ・・。

石山本願寺攻めの際に毛利方の村上水軍に勝つために
九鬼嘉隆に命じて作らせたんでしたよね・・。
もちろん現物は残ってないし、それ以上の詳細は
分からないけど↓
NHK「その時歴史は動いた」
で放映された織田信長の鉄甲船

 

まあ
日本ではわざわざ
この鉄の船を復元しなくっても
他に誇るものが山のようにあるので
韓国人みたいに気が狂ったように
亀甲船を復元する必要は
ないんですけどね~。


他にも李舜臣の鎧も検証してみたそうです↓
http://kankokunohannou.org/blog-entry-5879.html
李舜臣将軍は
見るたびに違う姿をしている。

光化門の像、
ドラマ「不滅の李舜臣」、
映画「鳴梁」、
ドラマ「壬辰倭乱1592」
のすべての服が違う。


最も考証がうまくいった作品は、「壬辰倭乱1592」だ。
当時朝鮮軍上級関係は、主に布や革で服を作って、その中に
鉄板を固定させた鎧をまとった。李舜臣将軍も同じ鎧を
被った可能性が高い。

 
▲左から、映画「鳴梁」
ドラマ「不滅の李舜臣」
「壬辰倭乱1592」の中の李。
すべての鎧が違う。


(引用ここまで)

確かに韓国国会前に設置した李舜臣の像の件は
忘れられませんね・・・。
確かに韓国人が鼻白むほどの嘘捏造の嵐でした。
韓国人らしい出来事ですけど↓
http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-11915584215.html
まさに敗戦将軍としか形容が出来ん!
撤去が決まった国会議事堂の李舜臣像(韓国聯合ニュースHPより)
↑ソウルの国会議事堂前に建てられた
李舜臣のくず鉄で作られ、いかにも銅像で
あるかのようにペンキで偽装された像。

中国の鎧を着て日本刀を持ち、
降伏のポーズを決めている・・・

ってことが問題になって撤去が決まった。・・韓国大恥記念。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140703/waf14070307000002-n1.htm

(引用ここまで)

あと、↑の記事には書いてないけど
平壌の朝鮮王が
戦いもせずに逃亡した

って
いう史実も描かれて
バ韓国人どもの話題になってました↓

http://honkan.jp/7059/
韓国人
「ドラマ 壬辰倭乱で
朝鮮の王が逃亡→
日本軍が朝鮮に呆れ果てるw」

韓国の反応

 
朝鮮からの急報です
朝鮮の王が宮殿を捨て、逃げたようです


  
王が逃げただと?
馬鹿なこと言うんじゃない
そんなことありえるはずがないだろう

戦争に負けたとき、
王ができることはたった2つだ
最後まで戦い死ぬか、切腹するか


以下バ韓国人どもの反応

韓国の名無しさん

豊臣秀吉、仮面付けてるからラスボス感出てるな

韓国の名無しさん

韓国の李氏朝鮮ができることは2つだ
外国人を呼んで攻防するか
国を売って延命するか

韓国の名無しさん

もともと戦争が起これば、王ってものは逃げるモンなんだよ

韓国の名無しさん

日本も天皇は避難させるよw

韓国の名無しさん

だから李承晩も漢江大橋を爆破させて釜山に逃げたじゃんww


(引用ここまで)

これにしたって
前の韓国ドラマでは
秀吉の朝鮮征伐では、
日本軍が敗戦に次ぐ敗戦で
秀吉が火病ってた

っていう風に描かれてたんでしたよね↓
http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-12033341283.html
まあ韓国人は秀吉嫌いでしょうから
仕方はないんですけどね~。↓
http://isplus.live.joins.com/news/article/article.asp?total_id=17875045&ctg=1502&tm=i_ntr&mc=1503001
'懲毖録 '
キム・ギュチョル 、
(↑秀吉役の韓国人のことね)
日本軍 敗北に 狂気姿 露呈した

 

続く日本軍の敗北にキム・ギュチョルが憤怒した 。

24 日、放送されたKBS 1TV 週末ドラマ 『懲毖録 』
 ( 脚本 チョン・ヒョンス 、チョン・ジヨン演出キム・サンヒ 、
キム・ヨンジョ ) 30 回では
豊臣秀吉 (キム・ギュチョル) の狂気じみた姿が描かれた 。

この日、
日本軍は
晋州城での戦いに引き続き、
平壌城の戦いで敗れた 。
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 


この消息を知った豊臣秀吉は怒りに満ちて部下を殺し始めた

豊臣秀吉は引き止める部下に
「義兵にもされて 、晋州城でも負け 、平壌城でも敗れて 。
敗将で戻って来るやつらの首を皆切ってしまうのだ」 と憤怒した 。

(引用ここまで)

なんか聚楽第を意識したセットはまあまあだと、
日本の皆様も一応評価してましたよ。

良かったね、KBS!

でもね~。
日本軍は
晋州城での戦いに引き続き、
平壌城の戦いで敗れた 。
あのね~~!!
晋州城はともかく
平壌は日本軍の勝利でしょ。

アンタらの王様が放棄して逃げ出したんじゃん!
嘘は良くないですよね~。

ちなみに
晋州城でも1回目の攻防戦で
朝鮮軍の屈指の勇将だった
金時敏が戦死しちゃった

(ドラマの表題の懲毖録に書いてありますよね)
上に、
2回目の攻防戦では
日本軍が勝利して

結局晋州城は
日本軍が占領

しちゃうんでしたよね。

(引用ここまで)

まあ
国民を見捨てての敵前逃亡は
韓国人の得意技ですけどね~↓
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/28/korean-war-hangang-bridge-explode_n_5539148.html

6月28日は、朝鮮戦争初期、韓国軍が首都ソウルの漢江
に架かる橋を爆破し、多数の犠牲者が出た日だ。
大勢の避難民が橋の上にいる
にもかかわらず
爆破作戦が実行され、

500人とも1500人とも言われる人々が死亡した。
1950年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を突破し、朝鮮戦争が
始まった。北朝鮮軍の奇襲に韓国軍は劣勢だった。
6月27日午前1時、韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて
南にある水原への遷都を決め、李承晩大統領(当時)はさらに
南の大田に逃れた。
ラジオは
「国連軍が
助けてくれるから安心しろ」
と大統領の肉声を放送し続け、

新聞は事実と異なる
韓国軍の反攻を伝えていた。

大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、
北朝鮮の南進を少しでも遅らせるため、
韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋(人間、車用)を爆破した。
 

 
李承晩 漢江大橋を爆破 釜山に逃亡

8引用ここまで)

中韓合作と言うことで
いろんな意味で勝手な
文化的証拠の捏造が
出来なかったようです。


これからも古代、中世の歴史ものを作るときには
宗主国様に検証してもらってください。
多少はましになるでしょう・・・。

で、最後は宗主国様に併合されて頂ければ
いいですのでよろしくお願い致します・・。