ささやかながらの、震災復興支援は続く。
春夏秋と、石巻、宮古の復旧、復興に関わった。
冬を迎え、ようやく福島に行くことを決めた。来週末、仮設住宅で定期的に開かれている「青空市」というのに、参加することにした。
支援とはいえ、毎度私ごときのこと、海辺の砂浜の1粒にも満たないであろう、ただの賑やかしのようなものだろうが。

で、アクアラインというのは。

福島に車で行くが、マイカーはノーマルタイヤ。職場の後輩がスタッドレスタイヤを譲ってくれると言うので、昨夜神奈川県まで引き取りに行った。帰りは千葉県。アクアライン経由が近道なので、初めて自分で運転して東京湾を横断した、というだけの話。

車の運転は好きだし、羽田から空港バスに乗りアクアラインを通ったこともある。

何かというと、橋の上とか高架とか、高いところとトンネルを、自分で運転している状態が、実は大変苦手、ビビり、恐怖なのだ。ついでに高速道路も決して好きではない。

なのでアクアラインは今まで、自分で運転して渡る必要も無いのもあり、避け続けてきたのだが、昨夜はついに走ってみようと思い、走った。

高所恐怖症の気はもともとある。トンネル恐怖、トンネル入口を入ろうとするときの何とも言えないイヤな感じと恐怖感。人が運転している分には平気なのだが。
出口が見えているトンネルも平気だ。

精神医学的にはきっと説明のつく、閉所恐怖症とかパニック症候群とかが微妙にブレンドされたような状態なのだろう。

今回、遠回りで避けることも出来た、恐怖のアクアラインを運転して帰ることを選び、無事帰ることを選んだのは、福島に行ってみることを決めたことと無関係ではない。

行こうと思えば行けた福島を、後回しにしていた自分がいる。今回、福島に行くために、自分の中ではアクアラインを走っておく必要があった、と、翌朝となった今にして思うのだ。

ごく個人的な、他人にとっては全く何でもないこと。私のトンネル恐怖のように、人知れず、人に言えない苦しみを持っている人もたくさんいるのだろう。

アクアラインをくぐった私は、福島に行く。今更行くなら、もっと早く行けばよかったろう、と自分の中の声も聞こえる。

いつか行こうと思っていた福島に、行けるようになったのは、今なのだ。

今までできなかった、行けなかった自分の現実を、これから行く自分が塗り替えていく。今までの自分という下地の色、下地の絵の上に、新しい自分の色、自分の絵で塗りつぶすという感じの方が合っているかも。

そんな自分を連れて、福島に行く。



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昨日の休み、父親の住む南房総の山の中で、草刈りをした。

自分の仕事、日常が事務作業、久しぶりのエンジン草刈機は、満タン2回戦、1時間半もやったらもう疲れた。

父親はその土地を手に入れかれこれ30年近く住み、すでに85歳だが、車で町に買い物なども行ったりしている。
ちなみに母親は東京におり、父母は離婚した訳ではなく、一月のうち一週間から10日程度、父が山を降りて東京に帰る、こんな生活が四半世紀以上続いてきたという訳だ。

とはいえ、父もそろそろ弱ってきた。母も来年は80歳だ。

親孝行など、何一つしていない自分は、まさにアリとキリギリスのアリそのもの。

残り時間がどれほどなのかは未知だが、生きてるうちの親孝行、遅ればせながら。

頭でっかちから、心でっかちへ。




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宮城県石巻市。漁港の近くにある、練り製品の老舗、高橋徳治商店。震災前まで、社員80人、2つの工場が稼働していた。
3・11の地震の後の津波で、海に近い第二工場は壊滅的被害、それよりは陸側の本社工場も津波にのまれ、建物外観は保っているものの、工場内にも容赦なく津波が押し寄せ、後には床上15cmほどのヘドロが、黒い雪のように残った。雪ではないので、溶けることなく。
3月31日で80人ほどの社員は全員解雇された。工場も、製造機械も全てダメになり、するべき仕事は何もなかった。
第二工場は手がつけられないが、本社工場のヘドロは出そう、と、全国各地から縁のある人々がやってきて、スコップで一杯ずつ、ヘドロを掻き出した。機械の隙間まで入り込んだヘドロには、手のひらにヘドロをのせて。電気は無く、各自のヘッドランプと、工場内に響き渡るエンジン音の発電機で点灯する投光器の灯りが頼り。カッパを来て作業、ヘドロでドロドロになったカッパは、地盤沈下で満潮時、工場前まで溢れてくる海水で洗った。カッパは着ていたが、ガンジス川の沐浴のようだったかもしれない。
3月末以降の半年間、関係者、そしてピースボートのボランティアの人々、のべ千人あまりが工場の再生に取り組んだ。
そして10月1日、「おとうふ揚げ」という製品を作る1ラインが、再生された。
80人いた社員のうち、15人が戻ってこれた。
「おとうふ揚げ」とは原料の豆腐に魚のすり身などを加え、油で揚げた、たこ焼きほどの玉。そのままツマミとしても、鍋や煮物にもいける逸品。
何よりその、おとうふ揚げ1粒1粒の中に、震災からの復興の思いが詰まっている。製品第一号を頂いたが、詰まっている思いで硬い訳ではなく、豆腐やすり身の甘味、旨みが心に染みた。揚げたてはふわっと柔らかかった。

ここからまた、新しい復興の物語がひとつ、始まる。






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