今回はお知らせ。

私も休日に事務ボランティアで参加している、「鴨川市大山支援村」について。


鴨川市大山支援村は、
旧大山村(現千葉県鴨川市)住民を中心に鴨川市の地域共同体で開設・運営する、
地震・津波・原発事故被災者・避難者の方々のための支援センターです。
2009年3月に閉校となった市立大山小学校の校舎(1984年建設・鉄筋コンクリート製)を活用して、
短期~長期の滞在受け入れ、および定住支援(住居紹介、
就労・就農支援など)を行っています。

今後、二次・三次避難が進められる中、
当事者の方々の個々のニーズに柔軟に対応した支援を、
地域の官民各方面と連携しながら行っていきます。
(以上「鴨川市大山支援村」紹介文より抜粋)

受け入れ準備は整っています。
「どんな所だろう」と、これまで何組かのご家族が短期滞在されています。
現在、やむなく避難所等での生活を続けていらっしゃる方々で、では一度どんな所なのか行ってみよう、という方は、詳しくはWebサイト「鴨川市大山支援村」をご参照ください。

また、友人知人で、
現在避難生活をされている方がありましたら、
「千葉の鴨川にこんなところがあるよ」とご紹介頂ければ幸いです。


一週間の東北復旧支援から、
昨日帰ってきた。

朝8時に岩手を出て、
東北道は順調、
夜6時には千葉の自宅に着いた。

疲れがどっと出てきて、昨日の夜からずっと、
静養?ゴロ寝?しているような状態だ。

本当にささやかな行為、行動で、
被災した仕事上の仲間や、
その仲間を支援している岩手の仲間の二次的(後方)支援をしてきたけれど、
震災前の普通の日常に戻るのに、
あとどれだけの労力や時間が必要なのか、
見当もつかない。

どんなに泣いても叫んでも、
もう二度と元に戻すことができないものは、
心に抱えて生きていくことも含めて。

これから、自分にはどんな支援ができるだろう。どんなことをするのが、被災した彼らの壊された日常の、
より早い復旧、復興になるのだろう。

お金があれば、間違いなくいろいろなことが何とかなるが、
お金は無いので、
お金ではない支援、
お金がどんなにあってもできない支援には、
何があるか。

考えて、また始めよう。
今は、もう少し休もう。
王様の耳は小耳-20110504160521.jpg
くたくただ。

6日間、6人のメンバーで、
仕事関係の復旧支援をして、
今日で終了、
明日朝岩手を離れ、
車で千葉に帰る。

仕事ではなく、
休みを利用しての自発的、自主的な復旧支援、
わかりにくい面もあるが、
仕事として職場に認めさせようとすると、
その決裁で面倒なエネルギーを使うので、
今回は有志の活動、
旅行のついでに手伝った、
というようなスタンスで、
実際は日常の自分の仕事よりキツい復旧作業だった。

写真は石巻港で、岸壁近く、
沖合に運んで捨てると思われる魚を一時保管している場所。
ここは腐った魚の激臭だった。
カモメたちは食べ放題の魚の周りで大はしゃぎ。
今日は、石巻の魚の加工工場から、
運び出した25台ほどの加工のための機械を、
一時保管している岩手県の水沢市の倉庫で、機械にこびりついたヘドロを落とす作業。

この間の工場内ヘドロ取りに比べれば肉体的には楽だったが、
機械に付着したヘドロは、
高圧洗浄機でも落ちない部分も多く、
ひたすら50回以上ワイヤーブラシでこすってようやく落ちるヘドロも多く、
これはこれで大変疲れる作業だった。

この5日間、石巻、宮古、水沢と、
やれることはやった。
そういう意味では清々しいくたくただ。

明日無事に千葉に帰り着いて、ようやく終わる。
そして、
これからのことは、
まだよくわからない。

どんな支援が必要になるのか、
必要だと明らかになった次の支援に、
自分がどこまで関われるのか、関わるのか。

自分の日常の中で、できる支援は何か。

考えても、今はわからない。くたくただし。

ひとりひとりが持つ不安、迷い、悲しみ、

そして自分という存在。
これからも続くこの世界で、

誰かと関わり合いながら、
生きていく。

不安や迷いや悲しみを抱えながら、

未知なる未来へ、
もう一度、はじまる。

くたくたで終わったところから。