5月の連休に石巻にヘドロの掻き出しに行ったが、
その場所があと10日くらいで一区切りになることを昨日知った。

石巻港一帯の地盤沈下でその工場の前まで、満潮時は海水が来る。

ヘドロ出しを完了させたその工場を、再度その場所で稼働させられるのか、それはいつになるのか、
そのときに、全員解雇せざるを得なかった80人いたという従業員の、いったい何人が戻ってきて働けるのか。

解決すべき多くのことは未だ解決せず、
ヘドロ出し完了も「儀式」と思えばそれまでのアクションだ。

それでも今週末、その関係者ではあるが、1個人として、ヘドロ出し完了に向け参加することにした。

あれこれ「理由」を付けようと思うが、
どうにも面倒だ。

若い頃読んだスタインベックの「怒りの葡萄」の、「あたしたちに出来るかどうか、なんて言ったら、何も出来やしないよ。やろうと思ったことは、するだけだよ」
の一節だけ、着替えとタオルと長靴を入れたバッグに入れて、
金曜日の仕事が終わったら夜の新幹線で仙台に行き、土日月と石巻に行くことにした。

自分の衝動を、好きにさせてやる。
月曜日、私の職場では3人くらい(1人は振替休みだったかもしれないので)休んだ。
2人は体調不良。

月曜日は、前の職場でもそうだったが、休む人が多い。

昔々、20年以上前、月曜日だからといって休む、という時代では無かったような気がする。
昔は良かったという意味ではない。
今日は仕事に行きたくないなあ、というのは月曜日に限らなかった気がする。

今は月曜に休む、月曜に出勤できねー、という空気なのかな、ということが言いたい。

「べてるの家」的に言えば、「安心して休める職場」ならいいのだが、決してそんな安心感は無く、覚めた空気の職場だ。
「俺だって本当は休みたいのに無理して来てんのに休みやがって」という感情があるかまではわからないが、
とにかく休んでしまった人も安心はできていないだろう。

好きなことが生業になった訳ではなく、生きていくための生業、働いて収入を得て自分の望む生活、望む以前にその収入で何とか生活できる、そのための仕事ということなら、
今日は行きたくないな、と休むこともまたOKか。
それを幸せと呼ばないならば、
好きな仕事が出来て幸せ、という人はこの世の中にどれほどいるだろうか。
などとグダグダ考えているうちに、月曜日が終わるのだ。
今週もリラックスしていこう。
王様の耳は小耳-20110529134209.jpg

4月以降、毎週日曜の午後、被災者支援の事務所の事務ボランティアを続けてきたが、今日で一旦一区切り。
来週からは転送電話対応ということで、現事務所の常時開設体制を変更するためだ。

この団体の活動は続くが今後は、不定期に関われるときに関わっていければと思う。


この場所から見える景色、晴れの日、風の日、今日は雨の日、それぞれ良かった。
普段は仕事に追われ、ゆっくり同じ景色を眺めるなんてこともないので、震災後のこの期間、自分にとっては必要な場所であり、必要な時間であった。


3月11日、新浦安のビルの17階であの地震を体感した。
5月の連休、石巻と宮古に行って、ささやかな被災地復興の支援をした。
この間、日常は日常として続いていた。

被災地のこと、被災者のこと、原発事故のこと、放射能のこと、いずれも非日常のことが、日常と同時進行で、
2か国語が同時に流れていて結局どちらもよく聞き取れないテレビの番組のように、
そしてそのどちらかに絞って聞き取ろうとする集中力は切れた状態で、

けれども生業の仕事は静かに容赦なく毎日やってきて、片付けて、やってきて、片付けて。


3月11日の夜、電車も止まり、新浦安のビルの会議室のカーペットの床に布団も何もなく、ジャンパーだけをかぶって横になり、
繰り返す携帯の地震警報の音と、直後に来る余震に怯えながら、浅い眠りのまま朝を迎えたことも、ずいぶん昔のようだ。

自分が体感したあの日の地震、
津波で流され命を落とした人、未だ行方不明の人、
破壊された街、家、工場、車、
避難所での生活を余儀無くされている人たち、
放射能から逃れた人、逃れることを命じられ故郷を去る人、
放射能汚染の場を逃れられず、安楽死させられる牛、豚、鶏たち。


自分の日常は続いていて、生業として続けるしかない毎日に、
この圧倒的な非日常はどうだ。


放射能は姿を見せぬまま、日常に入り込んでいて、
何をどう気付いていいのか、思考停止だけがたやすく分かり易い救済になっているみたいだ。


そして、自分の中では、今日を一区切りに、
また明日からを新しく生きていく。

放射能は見えないが、数値で読み取っていくしかない。

心はどうだ。
見えないし、かつ心の線量計など無いから、放射能よりますますどうしようも無い。

日常に集中して、非日常を棚上げしておくのか。
日常は日常、しかし非日常をいつも忘れず生きるのか。


最後はやはり、
できることをする、
できないことは諦める、いずれにしても日常を超えた勇気を持って、
ということだろう。


日常を生きながら、
被災者支援も続けよう。
できることをできるだけ、続けていく。
身体も心も疲れたなら、ゆっくり休むことのできる、勇気だけは捨てずに。