小学校の同級生だった二人。現在は50歳を過ぎ、大学教授と経営者というそれぞれの立場から得た経験と知識によって繰り広げされる往復書簡は読み応え十分だった。
平川克美は内田樹と幼なじみだけあって、内田樹のことに詳しい。前書きでは彼のことを「おばさん」だとして、こう紹介している。
「おばさん」にあって、「おじさん」にないものとはなんだろう。男というものは、どこかで自分の思想や観念に殉ずるところがあって、変に潔癖なところがあるものだが、「おばさん」には実はあまりそういった潔癖性はないような気がする。「おばさん」はどこかで、自分の思想なんていうものは信じていない。大したものではないと思っているのだ。人生で大切なことは、毎朝決まった時間に起きて庭先を掃き清め、与えられた仕事に精を出し、来る人は拒まず、去る人は追わない。そうやって、日に日を継ぐように暮らしを立ててゆくことであると思っているのである。それが彼女の「常識」なのである。
それを、ウチダくんはこんな風に表現している。
ふしぎなものですが、机上の議論で「不敗」の思想は、一歩表に出ると「ボロ負け」の思想なんですよね。
机の上でも、街頭でも、どちらでも「そこそこ使い物になる」ような思想だけが、結局最後に残る思想だとぼくは思います。
「おばさん」として「そこそこ使い物になる」思想を語る内田氏と、経営者としてまさに街頭で使い物になる思想を積み重ねた平川氏。ここで語られたテーマは、消費社会、大学問題、ビジネス、身体、文学、アメリカなど幅広い。
戦略的という言葉を忌み嫌い、ビジネスの本質は「差異」をつくりだすことであって、大切なのはプロセスだとする平川氏の言葉。「真理と政治」、「理念と現実」の間で「平仄があっている」と判断するこができるのは身体的な感覚だろうする内田氏の言葉など、まさに机上の議論では負けても、街頭では通用しそうな内容だ。
この本で一番気になった言葉はこれ。
「間違えました、すみません」ということばをどれくらい適切なタイミングで切り出せるか、ということに人間の知性はかかっているとぼくは思います。
そういえば典型的なオバサンである僕の母はなぜかハマコーが好きだ。「あの人は悪いことしたら、ちゃんと謝る」と言って、僕からみたら過剰に評価してた。どうせなら悪いことしない人こそ評価してあげたらいいのに、と当時は思ったけど、今思えば政治家なんてみんな何かしら叩けばホコリがでてくる。本人が意図せずとも、何かしらミスはでてくる。ミスしないことだけを評価するという理想主義ではなく、ミスしたときの対処のしかたこそ評価するというのは現実的な判断であり、これも「使い物になる」考え方なのだろう。総理!この本、読んで下さい!
■平川克美、内田樹の本
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