- 長田 弘
- すべてきみに宛てた手紙
詩は(わたしにとっては)語るためのことばではありません。黙るためのことばです。
大切にしたいのは、世界をじっと黙って見つめることができるような、そのようなことばです。声がことばをもとめ、ひとがことばにじぶんをもとめ、そして、ことばになった声からひとの物語がそだってゆく。
わたしたちが世界をよびならわしているのは、そのひろがりです。
長田弘は言葉と世界、言葉の自分の関係について想う。言葉が世界の中心なのだと言っているようであり、僕らは普段、言葉の世界しか見えてないと言っているのかも知れない。現実の問題を言葉の問題として捉え、言葉によって現実が動かされるという認識。それは言葉を突き詰めることによって、現実という世界を掴もうとする試みだ。
わたしたちはともすれば、自分は自分だと言えば、それが自分であるというふうに思いなしがちですが、それはちがいます。わたしたちの自分というのは、むしろ自分でないものによってしか語ることができないものです。わたしたちの中にいる自分は、言葉をもたない自分です。あるいは、言葉に表すことのできない自分です。
そして、じぶんという存在を見つめるためには言葉に表すことができない部分こそが大事だと言う。言葉に表すことができない自分に近づくための手段の「言葉」だと。言葉と向き合うことによって生まれる沈黙のなかにこそ自分がある。
急いでもはじまらないと、剣呑に構えて、本を手にする。ただそれだけ。それが一人の「私」にとっての読書のはじまりなのだと思い切れば、よし。
あとは「読書中」という見えない札を、心のドアに掛けて、思うさま一人の「私」の「今」という時間を深くしてゆけるのなら、おそらくそれが、一人の「私」にとってもっとものぞましい読書のあり方です。
言葉は、現実という「今」と自分という「私」を繋ぐ存在。言葉と正面から向き合うということによってのみ、現実と自分を繋ぐことができる。という解釈で正しいのかどうか。正しい答えなんて分からない。大切なのはどれだけ自分が本と真剣に向き合えたかということ。「読書中」という見えない札を掛け、耳を澄ませてこれからも僕は本を読んでいきたい。
■長田弘の本たち
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