『深呼吸の必要』長田弘/晶文社 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

長田 弘
深呼吸の必要


言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。

「あのときかもしれない」と「おおきな木」を収録。それぞれ、短い散文が集まって構成されている。イラストは大橋歩。装丁は平野甲賀。カバーを外すと布張り。
「あのときかもしれない」の「あのとき」とは自分が大人になったときの事だ。二人称で問いかけるように書かれた長田弘の言葉を読み進めるうちに、読者は自分が大人になった「あのとき」を、いくつも体験することになる。それは学校から帰るときに石を蹴るのをやめたときとか、「なぜ」という言葉を口にしなくなったとき、父の背中に孤独の影をみつけたとき、など。

ぼくは何度も「あのとき」をくぐりぬけ、その度に自分の記憶と照らし合わせるのに目を細めてひとつ息を吸う。ひとつ読むたびに大人になり、また子どもに戻って大人になる。でも、おとなになるっていうのは1回だけのこと。いったい、ぼくがおとなになったのはいつだったのだろう。目を閉じて、記憶の奥へと手を伸ばす。ぼくは深く息を吸い、ゆっくりと吐きだす。

で、いつ、きみは子どもからおとなになったのか。あのときだろうか。あのときだ、きっとそうだ。だがきみはすぐに打ち消す。そうじゃない、べつのあのときだ。いや、それもちがう。またべつのあのときだろう。そうだ、そうにちがいない。しかし、待てよ、子どもはただ一どしかおとなになれないんだ。それならば、おかしい。きみがおとなになった「あのとき」がそんなにいくつもあるはずがない。




その時、僕は椅子に座って、本を閉じていた。けれども、それは確かに読書だった。長田弘の別の本にあった言葉を思いだす。「読書というのは書を読むこと、本を読むことです。読書に必要なのは、けれども本当は本ではありません。読書のために必要なのが何かと言えば、それは椅子です。」


長田 弘
読書からはじまる