『「おろかもの」の正義論』小林和之/ちくま新書 | 砂場

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小林 和之
「おろかもの」の正義論


「正義」とは「正しさ」とは何なのかという検証から始まり、脳死・臓器移植、死刑、愛国心、民主制、環境破壊、南北格差などについて「正しさ」とはどうあるべきかを論理的に考え抜く。自分がいかに「正しさ」について浅くしか考えずに、わかったつもりになっていたか思い知らされる内容だ。

「正しさ」は人に理解されてはじめて「正しさ」としての力をもつ。納得して「正しい」と思うことによって人は規範に従うのだ。刑罰で威嚇して従わせることはもちろん可能だが、その服従をもたらしたのは「正しさ」の力ではない。そういう「力ずく」こそ「正しさ」から最も遠いものだろう。

社会のなかで生きる存在としての人間。それぞれができるだけ多くの欲求を満たすための、約束事としての「正しさ」。抽象概念としての絶対的な「正義」は否定する。それぞれの問題について、論理的に突き詰めてゆく所に「正しさ」の可能性がある。読者の「正しさ」を揺さぶるために、著者の言葉は時に激しいものとなる。

自動車を全面的に禁止すれば、交通事故はゼロになる。それをしないのは、われわれが自動車の利便のためなら「人をひき殺してもいい」と考えているからだ。

命より大切なものがあるだろうか。あなたにとって、もし命が最も大切なものであるとしたら、なんて不幸な人生なのだろう。それは、敗北を約束された人生だ。最後には必ず失うのだから。

ここでは今まで自分のなかにあった「正しさ」が問い直される。そもそも自分は「正しさ」について、わかったつもりになっていただけではないか。メディアで言われる「正しさ」は、単なる「正論」という、そこで完結した理想論だから、自分の問題として考えさせれることはない。だがここでは自分の頭で考えて論理を組み立て納得することが求められる。「正しさ」とは僕らが納得したことによって成立する約束なのだ。

「正しさ」について論理を組み立てるとき、著者は考えの届く限りの事柄について、隙のない筋道を立てようとする。この「正しさ」に対する姿勢は尊敬すべきことだと思う。論理は言葉によって構築され、「正しさ」という人と人との約束事が言葉によって納得されるのならが、言葉の取り扱いに対しては最新の注意を取り計らわれるべきだ。「言葉は希望」なんて、抽象的な存在ではない。言葉は現実だ。

「人に迷惑をかけてはいけない」ということばは、ときに弱者を追いつめることになる。老人や障害者、病人など、他人の助けを必要とする人は存在してはいけないだろうか。もちろんそんなことはない、という答えが返ってくると期待する。少なくともタテマエの上では。そもそも、そういう場合は「迷惑」ではない、ともいわれるかもしれない。
だが、"寝たきりになるよりは死んだほうがいい、人に迷惑をかけたくない"という老人の声を聞くとき、「迷惑」ということばを重く広く受け止める人がいることを感じざるをえない。
(中略)
「人に迷惑をかけてはいけない」ということを真剣に考えるなら、このことばが無神経に発せられたときの迷惑に思いを致すべきなのではないかと思う。


■正義についての本たち

山本 夏彦
茶の間の正義


呉 智英
サルの正義