松岡 正剛- 知の編集術
・はじめに
本書でつかう「編集」という言葉はとても大きな範囲につかわれています。
(中略)
どう広いかというと、人間が言葉や図形や動作をおぼえ、それらをつかって意味を組み立て、人々とコミュニケーションすること、そのすべてに編集方法がいろいろ生きているとみなします。だからふだんの会話にも編集があるし、学問にも編集が動いているし、芸能や料理やスポーツも編集されているというふうに見るわけです。
編集に関して知識は皆無だったので、この広い定義の編集に戸惑った。先日読んだ、内田義彦「読書と社会科学」のなかで言われていた「独自の概念装置で物事をみる」というものなんだろう。「編集」という概念装置をつかって世界を分析して再構築する。
僕などは特に編集とは縁のない人生なので、編集とはそういった知的ツール足り得るものなのだなと気軽に読んで楽しめた。だが、内容はもっと編集に関して踏み込んでいて編集技法の解説なども細かくあり、途中には練習問題も多数入っている。本来は編集の世界に興味のある人が読むための本なのだなと思いつつ。
個人的に気になった文章を以下に引用。
・編集的世界観
編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。
(中略)
つまり私は本書を語っていくなかで、「方法が世界の内実そのものだ」ということを伝えてみたいのである。
・要約編集
何を重点とするかなどということには"正解"はない。編集は自分がやりやすいように、自分がその中に入っていきやすいようにやることだ。それが自己編集というもので、何かの"正解"のために編集はやるものではないし、一定の水準に近づくためのものでもない。
(中略)
いずれにしても自分なりに重点が拾えたら、これらを少しでもならべなおすことが大事だ。これは「関連づける」ということである。
・「いいかえ」が思想をかたどっていく
言葉は広がりをもつものであり、多様性と多義性の海にゆらめいているものなのだ。だから言葉を厳密につかおうとすると、たいていはムリ(無理)が生じてくる。そのムリを承知でドーリ(道理)にしようというのが学問や思想というものである。
(中略)
とくに同義的連想は、つまり「いいかえ」は、学問や思想のなかでも頻繁におこっている。むしろ「いいかえ」をちゃんとしたかどうかを互いにチェックしあっているのが学問や思想というものだといってもいいすぎではない。
・その日その時に出会えたように
編集とは、すべてを準備しきることではなく、その場に臨んでおこる感興を残しておくことに、ほんとうの職人芸が隠れて出てくるものなのだ。それはそうだろう。雑誌のコピーや写真を見て、読者が自分で初めてそれに出会ったと思えるようにすることが編集者の仕事なのである。ところが学者や評論家はこれがどちらかというとヘタなのだ。ついつい自分で勝ち誇ってしまう。
・編集技法
編集術とは、われわれがどのように世界とかかわるかという「方法」に目を凝らそうという、いわば「気がつかなかった方法を気づくための方法」というものである。
もうすこし突っこんでいえば、世界をすべからく情報世界とみなし、その情報を「すでに編集されている部分」と「編集されにくかった部分」とに分け、その両者を串刺しにして通観できる方法を自在に明示化してみようというものだ。