- 波多野 誼余夫, 稲垣 佳世子
- 知的好奇心
知的好奇心を知ることは書店員として役立つ部分もあるのではと、知的好奇心によって読んでみた。まあ、結論的には特に役立つこともなさそうだが、読みどころは多く、読んでよかったなと思う。
前半部分は「人間は怠け者である」という説を否定して、「人間とは本来、知的好奇心と向上心を持っている」という説を実証した内容。後半はそれをふまえた教育論になっている。本書は1973年に出版された本だ。みごとに「ゆとり教育」を推奨した内容になっているので、今読むと違う意味で面白い。
以下、気になった文章
第二章 情報への飢え
人間は単調を嫌い、知的好奇心をみたすべく常に情報を求めている存在なのである。
人間の幸福にとって適度の情報は欠くことのできないものなのである。「刺激変化(つまり情報)は人生の薬味ではない。人生をつくりあげている材料そのものなのである」とのべた人がいたが、あらためて、このことばはわれわれの胸をうつ。
第三章 探索と回避
既存の枠組みを多少修正するもの、既存の知識に「挑戦」するもの、いいかえればそれと適度のずれを持つもの、こういうもはかえって非常に好まれる。むしろ既存の知識になんらの「挑戦」をしないものは「つまらない」として嫌われる。
「こわいものみたさ」というのは、この既存の知識とのずれが適度をややうわまわったときの、プラスでもマイナスでもある様子を示すものである。
ある対象と繰り返し接触していると、それはもはやまったく受け入れがたい対象ではなくなってくる。こうなると恐怖はうすらぎ、むしろ興味や好奇心があらわれてくるのである。怖れや嫌悪をもたらしていた対象が、興味や関心をひきおこすものになる。これは子どもの知的能力が発達することによってもおこりうる。
第四章 知的好奇心と向上心
「情報」を求める傾向といっても、これには二つのタイプがある。(中略)
拡散的好奇心は、われわれの興味をひろげ、知識のバランスのとれたものにするのに役立つ。もちろん、はっきりした方向性がないといっても、それがむけられる領域には、ある程度「好み」がある。(中略)
同じ退屈したときでも、本を読むかテレビを見るかは、さらにどんな傾向の本を読むかは、人によってある程度きまっているだろう。さてもう一つの型の情報収集は、われわれの知識が不十分であることがわかったときに生ずる。そして、その不十分さが埋められるまではつづけられる。こちらは、したがって、われわれの知識を深め、より首尾一貫したものにしていくうえで、非常に重要である。これは、「特殊的好奇心」というよび方がふさわしい。
どんなきっかけで、われわれは知識の不十分さを感じるのだろうか。(中略)もっと普通なのは拡散的好奇心が働いて情報収集を行っているうちに、新奇性、驚き、矛盾、困惑などに直面する場合ではあるまいか。退屈なのでたまたま手にした推理小説を読んでいたら、そのさきを知りたくてたまらなくなり、終わりまで読まないではいられなかった、というのは、拡散的好奇心から特殊好奇心への移行の一例をあらわしている、といってよい。
われわれは、常にすべての対象に興味を持って反応することはできない。そんなことをしていたら、かえって外界に適応できなくなってしまう。
第五章 未成熟の効用
ほかの哺乳類が、いわば特殊化することによって進化していったのに対し、サルの仲間はむしろ「適応性」によって進化した、ともいえよう。そうなると、経験によって獲得すべき能力がそれだけ大切になってくる。(中略)このことは、サルの仲間のなかでも、とくに人間についていえることである。
人間のすぐれた学習能力は、その言語を使用する能力に大きく依存している。言語のおかげで、人間は自然遺伝にたよるかわりに、文化的遺伝にたよることができるのだ。言語を通して一人の経験が、他のすべてに共有されうるのである。
人間はもともと社会的動物である。エサを手に入れ、自分たちの安全を守るため社会的協同を必要としてきたのだ。したがって、それが向社会的な動機づけを持っていたとしても不思議ではない。そしてまた、これが、人間のきわめて強い好奇心・向上心と密接に関連していることも当然といってよいかもしれない。逆にいえば、向社会的動機づけが十分にみたられないような条件下では、好奇心、向上心も、本来の形で発揮されることはないだろう。
第六章 幼児の知的教育
遊びを砂糖菓子のようなものとして学習に付随させるやり方は、人間怠けもの説をぬけ出していないのだ。幼児が本来「学習する動物」であることを無視しているのだ。それでは、幼児も幼児なりに知る喜び、理解するうれしさ、向上する楽しみを持っていることをみとめているとはいいがたい。
第八章 学習者中心の教育
子どもたち自身、社会生活を送るうえに最低限必要なものは、いちおう心得ているはずだし、強制しないからこそ、教師の助言も素直に受け入れられるだろう。