- 春日 武彦
- ロマンティックな狂気は存在するか
ある推理小説家から質問を受けた著者。その作家が考えているトリックは、現実の臨床像に照らしてみるとおよそ成立しがたいと指摘すると「でも、狂気という前提があれば、あらゆる精神の有りようは容認されるのでは?」と反論される。
彼にとって狂気とは奇想天外と同義であり、また幻覚や妄想はいかに突飛な振る舞いをも正当化される魔法の事象なのであった。まったくのところ、狂気は人それぞれに応じて様々なイメージを与えられるようである。ときとして狂気は創造性、純粋さ、真摯さの究極として位置づけられ、いわば憧憬の対象とすらなることがある、つまり「ロマンティックな狂気」ということである。
(中略)
もしも好奇心と誤った先入観、その双方によって我々が狂気に対して冷静な態度をとれなくなる可能性があるなばら、とにもかくにも好奇心をひととおり満足させ、さらに知的関心をも満たしておくことが先決である。(本文「はしがき」より引用)
小説をたくさん読んでいると、狂気を扱った本とも多く出会い、狂気を「ロマンティックな狂気」として安易に扱っている本と出会う確立も高くなる。小説のなかの世界で楽しむには問題ないとは思う。だが、狂気はファンタジーではなく現実に存在する問題だ。どの部分が小説としての作り話で、どこまでが現実としてあり得る症状なのか知っておくのは大切なことだろう。今まで精神病関係の入門書は2、3冊読んだことが、僕のように小説を読んで精神病に関心を持った人には、本書は特にお薦めできる内容。
以下、個人的に気になった箇所のメモ
彼ら狂人たちの発想は非常識ではあるが、疑心暗鬼や邪推、妬心や宿怨といった俗っぽい「こだわり」が下世話なヒント(たとえばテレビや週刊誌でもてはやされている霊能者、空飛ぶ円盤、C級SFの小道具としてのコンピュータ、邪悪な天才発明家等々)と絡まって奇形化したような、陳腐でチープな思いつきでしかない。
(中略)
そんなふうに狂気から導かれた妄想が非創造的で貧困でしかない理由として、中井は「彼ら(狂人)はあまりにたやすく発見し断定するのである。彼らは『待つ』ことができない」と述べる。なぜか? 妄想には、狂気に囚われた人間にとって破局への転落を食い止める安全弁の役割があるからだという。
(「天才と狂気は紙一重のウソ」より抜粋)
1.能動性 知覚や思考などを、ほかならぬ「自分」がしているという意識
2.単一性 自分はただひとつ、唯一の存在であるという意識
3.同一性 過去の自分も現在の自分も、連綿とした時間の流れの中で同一の自分と繋がっているという意識
4.対立性 自分と外界、自分と他人を峻別する意識
(「ヤスパースによる自我の4つの指標」より引用)
抽象化のプロセスを欠いた「述語的思考」がなされるがゆえ、分裂病患者の言動はともすると隠喩的であったり詩的であるかのごとく感じられる、というのである。
(中略)
精神分裂病における具象化傾向は、結局のところ本来の意味から逸脱した意味関連を言葉が孕んでしまい、その非常識で「文脈にそぐわぬ」逸脱のほうへ患者が迷い込む結果、いよいよ彼の言動は他人にとってとりとめのない、ともすれば謎めいて予測につかぬものになっていってしまう、ということなのだろう。
(「流通する狂気のイメージとその実体」より引用)
どんな場合にも精神科医は、正常と狂気との境界線を想定して相手へ臨むのではなく、いかに相手からひとつの精神パターンを抽出し得るかに能力をかたむける。その結果として狂気が区別されることもある、ということだ。そんな作業を人生に対する不遜で僭越な態度、生きざまを過度に単純化する鈍感な態度だと非難されれば、まあ返す言葉がない。が、精神科医それぞれが勝手に境界線を定め、症例毎にいちいち価値判断を押しつけてくるよりはよほど健全なシステムであろう。
(「M君事件――狂気と犯罪をイコールで結べない理由」より引用)
ここで留意すべきは、医師やカウンセラーが「多重人格という物語」を肯定的なニュアンスでありげなく提示し、またその物語を患者が演ずることにそれとなく期待をしている素振りをみせた場合に、ことに多重人格の診断には催眠術がしばしば行われることもあって、結果的に治療者と患者との合作として「多重人格という物語」が生まれ出てしまう可能性が大いにあるという点である。
(「【多重人格】2冊の日記帳」より引用)
(『異邦の騎士』を例に上げて)ああいった見事な全生活健忘症は、解離性障害と称される病態のひとつに相当する。すなわち、困難な状況、どうにも逃げ道のない状況からの起死回生を目指した脱出方法として過去をすっぱりと切り捨ててしまう、といったメカニズムが無意識の領域で働いているのである。
(【記憶喪失】失われた記憶の行方」より引用)
憑依現象は文字通りに受け止めれば霊だか魂だか超自然な存在だかがエイリアンの如く精神内部へ侵入してくることであろう。
(中略)
つまり「外部→内部」といったベクトルで示される。しかし精神科医から見れば憑依現象は一種の「風変わりな自己主張」である。つまり「内部→外部」とベクトルが正反対なのである。
(「【憑依現象】何かが内部に侵入してくる」より引用)
ジャンルを問わず、とにかく狂気を作品の題材とする場合、
a)蓋然性をいいことに、現象としての狂気を都合良く拡大し、現実の臨床的ニュアンスと掛け離れたものをさも本当らしく流布させる。
b)自分が安全圏にいるのをいいことに、狂気を全くの記号として扱い、そのくせ他人の偏見をあげつらうような小賢しい態度をとる。
以上の二つを私は大いに警戒するのである。
(第7章「我々は狂気とどうつきあうべきなのか」より引用)
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