『袋小路の男』絲山秋子/新潮社 | 砂場

砂場

本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。



著者: 絲山 秋子
タイトル: 袋小路の男

指一本触れないまま、
「あなた」を想い続けた12年間。


川端康成文学賞受賞。芥川賞候補作『袋小路の男』を含む3編を収録。恋愛小説はあまり読まないので少し抵抗があったが、伊達に装丁が美しい本ではなかった。

あなたはハンサムだったけれど、死んだ魚にも似ていた。触ったらぬるりと冷たいんじゃないか、という気がした。そのぬるりのことを考えるとわき腹のあたりがせつなくなった。

一人称で語られる物語だから「あなた」の本当の姿は見えない。神聖視し、崇拝して盲目的に「あなた」のことを想い続ける「私」。

この車はエアバックなんかついてないから、時速150キロで突っ込めば間違いなくいけるだろう。生まれ変わってもあなたはやっぱりあなただろうから、私はあなたの家の猫になる。わがまま勝手をして可愛がられて時々家出をしてまた戻ってきてすりよって暮らす。
しかし150キロで何にぶつかればいいんだろう。決め手を欠いているうちに小諸インターについてしまった。


純愛小説だと言い切るには、僕のなかに純愛の定義がないので難しい。だが、男女の微妙な距離感を描いた稀にみる恋愛小説なのは間違いない。恋人未満家族以上。絶妙な距離感だ。

「俺が死んだら宇宙葬にしてよ」
「だめです、そんなお金のかかること」
「じゃあ、南の海に散骨だな」
「それならいいや、ちゃんと遺言状書いてくださいね」
 結婚はしないのに、葬式はするのだ。私はあなたの骨の小さなかけらをひとつだけくすねることを考える。半分は乳鉢で擂ってカフェオレに入れて飲んでしまう。そしたら私の骨になる。あとの半分はポケットのなかだ。小さな袋に入れて、何か不安なときや困ったときに触る。


2編目『小田切孝の言い訳』は『袋小路の男』のネタばれ的な短編。こちらでは「あなた」である「小田切孝」の視点を交え、「私」の言い分もありつつ、二人の関係を客観的にみることができる。「私」の独りよがりで妄想的な世界に納得のできない人も、これを読めば深く頷くことができるだろう。同じ関係を描いているのに、視点を変えるとこうも違うのかという楽しみかたができて、なかなか面白い。