ちなみに「核兵器」に関して、

昨日の記事で対談を引用したエマニュエル・トッドが
こんなユニークな解釈を述べていた。

「核兵器は安全のための避難所。
 核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる。
 ドゴール主義的な考えです。」

「核を保有する大国が地域に二つもあれば、
 地域のすべての国に「核戦争は馬鹿らしい」と思わせられる。」



同盟や外交などで軍事バランスを考えるのもひとつの選択肢だろうし、
トッドが言うように、他国(同盟国)の戦争に巻き込まれるのが嫌ならば
同盟ではなく、独自に核を持つというのもひとつの道だ。

日本の新聞があまりそういった記事を書かないだけで、
「謝罪」「援助」「友好」以外にもいろいろな考え方、選択肢があるのである。


国防についてのいろいろな考え方や選択肢についても、
先ほどと同様に“いじめ問題”にたとえてみると簡単な言葉で説明できる。

いじめには、必ず「強者と弱者」がある。
そこで確かなのは「強ければ、いじめられる可能性は低くなる」ということ、
そして「潜在的にいじめられる可能性があるのは弱い側にのみ」ということだ。

そして、いじめる側といじめられる側の二元論のみにこだわらないように見れば
実際には様々な立場があり、「いじめられたくないので、関わらない者」や
「いじめなければ、いじめられてしまう者」などがいると気づく。

弱い者が全ていじめられる側ではないが、
強い者も全ていじめる側というわけではない。


しかし
左翼や中国・韓国人の主張は、
日本が武装した場合「必ずいじめる側になる」と決め付けている。

彼らの主張の根拠はいつも「過去の戦争と反省」だ。

だが、そもそも彼らのいう過去の歴史には多くの捏造や誤解があるし、
戦後60年国際貢献と平和主義を貫いた国民が突然「いじめる側」になるとは思えない。

私のブログ記事で引用した台湾人・金美齢の本に“日本が中国の覇権を抑えることで
台湾や東南アジアの国々も安定と安全が確保される”という意味の言葉があった。

その他、数多くの事例をみても、
中国が「とても強く、いじめる者」なのは否定しようがない。
今の日本は「弱くはないが、力を行使できず、いじめられる者」だ。

それならば、さしあたって日本は「ある程度強く、いじめない者」を目標にし、
ゆくゆくは「誰かをいじめから守れる者」を目標にして努力していけばいい。

綺麗ごとのようだが、未来を語るなら、現実だけでなく理想も忘れてはならない。
その両方を見る、ということが日本人には必要だし、可能だと思われる。





前にも書いたかもしれませんが、

日本が強くなれば様々な問題、

特にアジアで起こっている問題はかなり解決すると思う。



パッと思いつくだけでも・・・

・北朝鮮との拉致問題

・南朝鮮との竹島&追軍慰安婦(従軍慰安婦)問題

・民団・朝鮮総連・在日の問題

・支那の尖閣への侵略行為

・支那の台湾への入植や独立国家としての問題

・支那のチベットなどの侵略行為の問題

・北方領土の問題


他にもたくさんあるけど、

アジアの平和を保つためには、

日本主導でやらないとダメだと思う。


少なくとも、覇権主義の支那ではあり得ないと思う