前回のブログから随分時間が過ぎてしまいました。
みなさんのブログにはお邪魔させていただいたり、コメントさせていただいたりはしてたけど、
ここのところ筆が重くて自分のブログを更新する気にはなれなくて。
でも今書かないともうずっと書くきっかけがなくなっちゃうような気がして。なので思い切って書きますね。
今現在、抗がん剤の副作用でノックアウトされてます
ずうっ〜と前のブログで乳がんに罹患したことは確か?書いたと思うんだけど、
今回は再々発でステージは4です。
娘の成長記録として始めたこのブログ、全然キラキラじゃないけど成長の過程や楽しかった思い出を主に書いていて、
そんでこれからも闘病ブログにする気はないんだけど、
人生楽ありゃ苦もあるわけで、たまに毒吐きしたり辛い心のうちを打ち明ける偽りのない場所でありたいと思ったから。
2012年に最初の乳がんで両胸全摘の手術をして、
2014年にリンパへの転移がわかり、摘出、抗がん剤、放射線のフルコースの治療が2015年に終わり、
さあ、もうすぐ5年キャンサーフリーだ〜!と思っていたところの晴天の霹靂。
こうして思えば乳がんにかかったことも私の人生の一部であり、なかったことにはできないですもんね。
ってかなりヘビーウェイト
今回の再々発がわかったのはちょうどロサンゼルスがコロナ禍に入ったばかりの頃だったのですが、
しばらくは分子標的薬の治療をしてたんです。それらは髪が抜けたりせず他の副作用もきつくなくて、見た目や行動範囲は健康な人とそれほど変わらなかったこともあり、
ただでさえ前代未聞のコロナで沢山の人が亡くなったり、ジョージ・フロイトさんの事件があったり、学校がリモートになったりと、
まだ12歳になったばかりのみーゆの心のケアのことを考えると私の病気のことは彼女には話せなかった。
だから当時病気のことを打ち明けたのは家族と親しいお友達と直属の上司だけで、
それも娘には隠しているので口外はしないで、特にFacebookやSNSに「I’m praying for you. 」などとは絶対に書かないで、とお願いしていました。
点滴の抗がん剤を始めたのは6月で、
髪が抜け始める前にみーゆに打ち明けました。
それからはみーゆに知られてはいけないミッションがなくなったので、世界的に解禁のトピックになりました。
とはいえ、みーゆはまだ14歳、新しい高校に入ったばかりでいろんな悩みがあり、以前行ってた中高持ち上がりの学校に戻りたいと言って泣いたり、
まだまだティーンエイジャーへの母親としての心のケアが必要なことも多いし、
ダディーもみーゆの送り迎えはもちろん、苦手な夕食の支度や家事を一生懸命やってくれて本当に感謝していますが、私にしかできないことも沢山あって、
私自身だってこれからやりたいことがわんさかあるし、
まだまだお迎えが来てもらっては困るのです。
前回のブログで仏さんのご催促のことを書きましたが、
10年も前から早よ気付け、早よ気付け、と言われとったのです。
再発の治療が終わったときに気付いたつもりでいたんだけどなあ。
書き始めるととりとめがなくなっちゃうので今日はこの辺にしておきますね。
というわけで、みなさまこれからも拙いルビーのブログをよろしくお願いいたします。
数日前のロサンゼルスの夕空です。