奈緒が去った公園のブランコに揺られている優斗。


どれくらい時間が経ったのだろうか。


大通りの車の数は少なくなったようだ。


だけど・・、まだ立ち上がって家に向かって歩みを進める力が出ない。


ずっとずっと考えていた。


奈緒が自分に背を向けて歩いたことはこれまで一度も無かった。


あの時だって、奈緒は俺が行くのを見ていたのだから。


気持ちはあるのにあんなに哀しいキスをして去った。


奈緒の心を思う。


今、お互いが背を向けて歩けば、本当にこれで終わってしまう。


消えそうな期待する気持ちを守りたい。


優斗はそう思っていた。


奈緒が背を向けて歩き始めたのなら、その後ろを歩くのも一つの道。


奈緒は、もう二度と立ち止って振り返ることをしないかもしれない。


それでも、二人のキョリはこれ以上離れない。


奈緒が断ち切った今、俺が追うしか見失わずに進む道は無い。


奈緒があの人をどれだけ思っていたって、俺の思いとは関係のないこと。


そう思える。


その一方で別の感情もある。


あの人に奈緒が触れられていると思うだけで思考回路は乱れ、呼吸は荒くなる。


それでも、奈緒があの人を好きだと言う今、耐えるしかない。


別れを切り出したあの日が無ければ、多分今も二人は仲の良いカップルだったろう。


隣にあった笑顔を失くして初めて知った深い思い。


他の誰かを思っていると知っても、諦められない愛しいと思う気持ち。


その一つ一つは『あの日』があったからこそ知ったこと。


歌を歌いながら浮かんでくる情景。


優斗はこの瞬間初めて気が付いた。


『俺に奈緒が必要なんだ』・・と。


知り合って、付き合い始めて、別れて・・そして今やっと気づいた。


好きだとか。一緒にいたいとか、触れたいとか、そういうことを大きく包む何かがこの思いからだと言うことを。


この先はもう迷わない。


はっきりしなかった何かがスッ・・と消えた気がした。




一方、奈緒は部屋に閉じこもって泣いた。


優斗のことではもう泣かないと決めていたのに涙が止まらない。


どういう涙??


優斗を今でも好きだと確信した涙?


でも、リュウのことが好きなことも嘘じゃない。


許せない自分。


どうして優斗を振り切って帰って来なかったのか。


嬉しかったのだ。


目をそらして見ようとしなかった本当の心が姿を現したのかもしれない。


(ズルい女、奈緒)


「奈緒、俺。」


リュウの声。


「うん。」


泣いていたと気づかれなかっただろうか。


こんな時、顔が見えないというのはものすごく都合がいい。


「どうした?


なにかあった?」


「(ほら、リュウにはなんでもわかっちゃう。)


文化祭で張り切り過ぎて疲れちゃったみたい。


明日、そっちに行ってもいいですか?」


「ああ、待ってるから。」


リュウとの電話も苦しくて明日の約束だけをしてすぐに切った。

「津田君、こんなところで何してるの?」


「ちょっと話したくて待ってたんだ。」


優斗は、奈緒の家の近くの公園のブランコに揺られていた。


そう、この前、奈緒がぼんやり乗っていたブランコ。


「寄り道してたから遅くなっちゃった。」


「あの人と会ってたのか?」


奈緒は首を横に振る。


「津田君、今日のステージ最高だったよ。


みんな楽しそうだった。


すごくカッコ良かったよ。」


「俺のこと、見直してくれた?」


「見直さなくたって、津田君はカッコイイじゃん。」


「じゃあ、俺のことまた好きになってくれた?」


「ずっと嫌いになんてなってないもん。」


二人の会話は短い。


「じゃあ・・・。」


優斗が少し明るい顔で次の言葉を口にしようとしたとき、奈緒がさえぎる。


「でも、私はリュウのことが好きなの。」


奈緒の携帯電話が光る。


「はい、奈緒です。」


相手はリュウからだった。


「今、一人?


家にいるの?」


「一人です。


もうすぐ家に着きます。


どうしたんですか?」


「いや、明日は土曜日だから、どこか行かないかって思ったんだ。


また後で連絡するから考えておいて。」


「はい。」


電話を切る。


「リュウに嘘ついちゃった。」


その言葉を聞いた途端、優斗は奈緒を強く抱きしめた。


奈緒を見つめ、奈緒に見つめられる。


その後はもう止められなくなった。


あふれ出る感情、欲望。


こんな風に奈緒に触れたのはもうずっと前のこと。


優斗の思いを受け止め、それに応える奈緒。


言葉にはしなかったが優斗には伝わっていたはずの思い。


『優斗が好き。


やっぱり優斗が好き。


でも・・、戻れない。


これが最後のキスよ。』


奈緒の思いがくちびるから伝わる。


認めたくない。


何度も重ねたくちびるが最後に小さくつぶやいた。


「バイバイ、優斗。」


そのまま走って家に向かう。


優斗は追いかけることも出来ない。


こんな哀しいキス。


こんな最後のキス。


大好きだった思いがこのキスで全て消えてしまえばいいのに。


大粒の涙が流してくれたらいいのに。


あの日、別れを告げられて哀しくてどうにもならなくて、夜も眠れないくらい苦しんだ。


でも、もしかしたら心のずっと奥のすみっこで信じていたのかもしれない。


優斗が自分のことを嫌いになるはずがないって。


でも、今日のキスは、本当の別れのキス。


たった一本細く繋がっていた最後の糸を切ったのが自分だということ。


奈緒はその思いをしっかりと刻んだ。

文化祭の日。


秋晴れの暖かい一日が始まる。


生徒たちの声があちこちで響いている。


準備を整え後は開場を待つばかり。


ステージ発表の時間が近づく。


「いよいよ本番だ。


このステージに今の俺たちの全部をかけてやり遂げよう。」


将太の声に力がこもる。


今は他のことは何も考えず目の前の一本のライブに集中。


身体に響くほどの大きな音が気持ちをどんどん上げていく。


『優斗がまず気持ちよく歌えばいいんじゃないの?


そのうち聞いている人に伝えたいと思うんじゃないかな。


一生懸命な姿は人の心に残ると思うから。


小さな明かりかもしれないし、ぼんやりとした道を明るく照らす光になるかもしれない。


それは受け止める側の内面で起こること。


すごいことよね。』


ずっと前の奈緒の言葉。


大きく息を吸いゆっくりと吐き出したあと、閉じていた目を開く。


(奈緒、サンキュー。)


ステージ中央へ歩き出す。


学校の文化祭だからなのだろうか、温かく迎えられた。


人気者の優斗を目当ての女の子たちも大勢集まって盛り上げてくれた。


達成感を味わいながら身体が熱くなるのを感じる。


ステージを後にした途端、涙がポロポロこぼれて落ちる。


生徒たちからアンコールの声と拍手が止まらない。


首に巻いていたタオルで涙を拭きながらステージに戻る。


今までより更に大きな拍手と歓声。


声が震えて言葉にならない。


みんなが優斗の言葉を待っている。


「サッカーを辞めてダラダラしている俺をこのバンドに誘ってくれた仲間がいたから、こうやって俺はここに立つことが出来ました。


下手な歌をこうやってみんなが盛り上げてくれました。


俺は、ガラにもなく泣いてしまいました。


本当にありがとうございました。」


低く深く頭を下げる優斗。


大きな拍手が続く。


「最後の曲としてこの歌を準備していました。


もしかしたら、歌わないまま終わるかもしれなかったこの曲『Distance』聞いてください。」


ゆっくり話しながら感情をコントロールする。


そう、この歌はしっかり歌いあげたいと思っていたから。


将太の作った曲に優斗が言葉をのせた。



「奈緒、優斗たち見違えちゃったよね。」


興奮気味に陽子が言う。


「そうだね。」


「元カノとしては複雑だったりする?」


「も~、陽子ったら、そんなこと言わないでよ。」


ライトに照らされて汗ビッショリになったステージの上の優斗。


手を伸ばすことも、駆け寄って声を掛けることもできない。


引き返さないと決めた心がグラグラと大きく揺れて崩れてしまいそうだったから。

「この前、本に載っていたイタリアンの店に行こうと思うんだけどどう?


ドライブにもなるし。」


「ステキ。


だったらもう少しオシャレしてくれば良かった~。」


車で走り始めてもう一時間くらいなる。


左側はすぐ海。


そんな道。


海の香りがする。


前の車も後ろの車も若いカップルで、多分目的地が同じだろう。


「お店入れるかな?」


「大丈夫、ちゃんと予約入れてるから。」


「えっ?」


「実は、俺のじいさんのお気に入りのシェフの弟子の店なんだ。


オープンしたばかりだから、一度行ってみてやってほしいと頼まれてたんだ。


もうすぐそこだ。」


駐車場は満車だったが、少し待つと何台かが一度に出たので止めることができた。


中に入ってリュウが名前を言うとすぐに『予約席』とある席に案内された。


「わ~すごい。


いろんなところでリュウとは生活のレベルが違うって感じるな~。」


次々とタイミングよく運ばれてくる色とりどりの料理を嬉しそうに口に運んでいく二人。


「こういうのを食べ慣れてるからかな~、リュウの作ってくれる料理はキレイだもんね。」


「どうせ褒められるなら、『センスが良い』とか言ってほしいな。」


帰り道、途中に車を止めて砂浜を二人で歩く。


リュウは奈緒の手を取り手をつなぐ。


「俺はこうやって二人並んで歩いて行きたいんだ。


手をつなぎたがるなんて子どもっぽくて嫌か?」


「そんなことないよ。


私は腕を組むより手をつなぐ方が好きよ。」


リュウと二人でまったりと過ごす時間。


買い物をしたり、二人キッチンに立って料理を作ったり・・。


隣にはいつもリュウがいて、優しく笑いかけてくれる。


夜中に目が覚めてふと思う。


(また泊まってしまった。)


隣で眠るリュウの目から流れる一筋の涙。


夢を見ているのだとすぐにわかった。


「沙織・・・。」


その名を呼ぶ声の感じで二人は別れたか会えなかったのだと確信できた。


何度も呼んでいる。


うなされている。


リュウの心に触れた気がした。


ずっと忘れられず胸の奥にあったあの日のリュウの涙と重なった。


目を覚まして起き上がるリュウ。


奈緒は反対側を向いて目を閉じたままでいた。




部屋で一人頭をかかえている時電話が鳴る。


「優斗、気持ちは落ち着いたか?


何があったか知らないが、よっぽどのことなんだろ?


今日も家の人いないなら俺、泊めてくれないか?」


将太の気遣いにジ~ンとする。


一人で耐えるしかないのだと思っていても、こんな時の一人きりは苦しい。


「ああ、待ってるよ。」


頭から片時も消えない二人の姿・・。


しばらくして将太はコンビニのビニール袋を二つ持ってやって来た。


母親は留守の間の優斗の食事のことを心配していたが、大丈夫だと言ったので特に作り置きなどして出かけることはしなかった。


実際、家でどれくらい食べるかもわからなかったし。


「入れよ。」


「本当に一人なんだな。


おじゃましま~す。


ほら、これ、メシとかいろいろ買ってきた。


冷蔵庫に入れといてくれ。」


優斗の部屋は相変わらずいろんなモノが散らばっている。


「その辺、適当に座ってくれ。」


「(その辺って、どの辺だ??)


お前、これじゃあ、どこに何があるかわからないんじゃないか?」


「それが違うんだな~。」


「おい、優斗に似合わないモノがあるぞ。」


机の上にある写真たて。


修学旅行の時のモノだ。


そんな時、優斗の携帯が鳴る。


「はい。」


「優斗、私陽子よ。


ちょっと話があるんだけど、出てこられる?」


「今、将太が家に来ている。


話、急ぐなら来れば?」


「じゃあ、これから行くわ。」


陽子の言葉の一つ一つに怒りを感じる。


話の内容は大体わかっている。


怒っていて当然だ・・そう思った。


陽子の性格は知り尽くしている間柄。


幼馴染。


玄関を開けて入って来るなり、その怒りは頂点に達している。


「優斗、どういうつもり?


奈緒に会って今さら何て言うつもり?


カギなんて置いてきたりして。


奈緒は今、古川さんと付き合ってるの。


やっと元気になってきたと思ってたのに。


もう諦めなさいよ。」


「俺も、そう思うよ。」


将太が言う。


「もう諦めろ。


奈緒はもう別の人と付き合ってるんだぞ。


それに奈緒を苦しめるな。


辛い時ほど明るく笑うんだ。


だから黙って見守る側はものすごく苦しい。」


「昨日、教室で話した時、奈緒に聞いたんだ。


『あの人のことが好きなのか?』


『俺より好きなのか?』


・・って。」


「奈緒は何て言った?」


将太と陽子が身を乗り出して聞く。


「『好きよ。』そう言った。


その後は答えなかった。」


「優斗、なんでそういうこと聞くの?


自分のことしか考えてないのね。


奈緒はね、優斗のこともまだ好きなのよ。


古川さんのことも好きなのよ。


二人のことが好きなのよ。


そのことから無意識に目を逸らしていたのよ、苦しいから。


なのに、どうして・・。


奈緒は優斗と別れて眠れなくなっていた。


毎日、一時間か二時間浅く眠って学校に来ていた。


普通の顔して。


私は、奈緒が一生懸命それを隠して笑っているのを気づかない振りをしていたの。


優斗は何も思わなかった?」


「そう言うのはわからなかった。


でも、別れてしまったけど、俺のことは好きでいてくれるんじゃないかって思ってた。


根拠は無いんだ。


自信も無い。


ただ、漠然とそう思ったんだ。


だけど、あの人と付き合ってるって知って気持ちは乱れた。」


「勝手だな、優斗。」


「きっと奈緒は今までよりももっと苦しむことになるわ。


古川さんと優斗の二人を同時に好きになった自分を責めはじめる。


そういう自分の感情を奈緒は許せない。


そういう性格なのよ。」


「奈緒には笑ってて欲しいよ。」


将太はしみじみそう言う。


「それはもう無理だと思う。


多分、両方手放す。」


陽子は視線を遠くにやってそう言った。





私の周りの人たち、毎日楽しそうでいいな~。


それぞれ違った何かを抱えて生きている中で、キラキラした感じが伝わってくるのは彼女たちが一生懸命だからなのでしょうか?


私はちょっと沈み気味。