宇宙人オレンジャーさんとの

2023年神社仏閣参拝。

 

お蔭様で満席となりました。

 

ご一緒させていただく皆様。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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4月は、4月23日(日)に

「東京で仕事をしたい人

している人は一度

参拝しておいた方がいい!」

といわれる

 

江戸総鎮守【神田明神】

徳川家の菩提寺がある

【増上寺】に参拝させていただきます。

 

今回は、2か所とも

徳川家と大変ご縁の深い神社仏閣です。

 

 

織田信長と豊臣秀吉になくて

徳川家康にあったものは

仏教信仰と、占術・呪術を

駆使したことだといわれます。

 

家康は、天台密教の僧侶であった

天海僧正に江戸の町づくりをまかせ

主要なスポットに結界をはりました。

 

神田明神も、増上寺も

江戸の結界を担っています。

 

 

4月は、新年度のスタート。

 

徳川家康が天下をとるために

大切にしていた

強力なパワースポットにお参りして

神仏のご加護をいただきましょう!

 

 

<天海僧正の鬼門封じ>

 

天海僧正は、江戸城の築城および

城下町である江戸の街の建設に

深くかかわったといわれています。

江戸の街づくりでは

天台密教の僧侶として

遁甲、天文、方術などの陰陽道の

豊富な知識を駆使。

 

古代中国の陰陽五行説の

「四神相応」の考えをもとに

徳川家の繁栄を考え

鬼門封じなどを積極的に行いました。

鬼門封じのために

 

・北東(上野)に寛永寺を建立。

 

 

東叡山と称して東の比叡山を意識させ

不忍池を琵琶湖に見たて

竹生島をまねた弁財天を祀り

寛永寺の側に上野東照宮を建立。

 

 

・神田明神を湯島に移転。

 

・浅草寺を配置。

・江戸城の南西の裏鬼門として

将軍菩提寺の増上寺を配置。

 

・日吉大社から分祀した日枝神社を移転。

 

 

50年近くかかって(3代将軍家光の時代)

 江戸の街作りを完成させました。

 

今回、最初にお参りする神田明神は

1300年の歴史がある神社です。

 

 

もともと、神田明神は

天平2年(730)に、出雲氏族であり

大己貴命(おおむなちのみこと)

=大黒様=大国主命の子孫である

 

真神田臣(まかんだおみ)により

現在の東京都千代田区大手町の

将門塚周辺に創建されました。

 

(雰囲気はまったく違いますが

大己貴命=大国主命なので

島根の出雲大社のようなイメージです)

 

その後、延慶2年(1309)に

時宗真教上人により

平将門公が合祀されました。

 

平将門命は、武士の先駆けとして

活躍し東国を、朝廷の支配から

独立させようとして失敗。

日本三大怨霊のひとりと数えられましたが

現在は、除災厄除の神様として祀られています。

 

 

<江戸総鎮守 神田明神(正式名称・神田神社)>

 

【主祭神】


・大己貴命(おおむなちのみこと)別名:大黒様
 

・少彦名命(すくなひこなのみこと)別名:恵比寿様

*一般的には恵比寿様は、事代主神(大国主命の御子神)
ですが神田明神では、少彦名命=恵比寿様とされています。


・平将門命(たいらのまさかどのみこと)

 

【御神徳】
国土経営、夫婦和合、縁結び、商売繁昌

医薬健康、開運招福、除災厄除など

 

戦国時代になると

太田道灌や北条氏綱といった

名立たる武将によって

手厚く崇敬され

 

特に、家康公は

1600年の関ヶ原の戦いの際に

神田明神で戦勝祈願を行い

関ヶ原の戦いで勝利します。

 

ちょうど神田祭と同日の

9月15日に勝利したため

これ以降、神田明神は

徳川家にとって縁起の良い

神社となりました。

 

image

 

元和2年(1616)には

江戸城の表鬼門守護の

場所にあたる、現在の地に遷座。

 

3代将軍家光は、神田明神を

幕府の祈願所、江戸城北の総鎮護とさだめ


8代将軍・徳川吉宗は、嫡子

(後の9代将軍家重)の病快癒祈願のため
流鏑馬(やぶさめ)の奉納を行っています。

 

歴代の徳川の将軍家の尊崇も

大変篤く社殿の造営なども行われ

「神田祭」は、天下祭と呼ばれました。

 

「神田祭」は、現代でも

日本三大祭りの

ひとつに数えられています。

 

 

神田明神の鎮座地は

大地からのエネルギーが

下からつきあげてくる場所で

第一チャクラがとても活性化します。

 

商売繁盛、縁結び、勝利祈願など

積極的に活動していきたい方には

特にオススメの神社です。

 

二社目にお参りする

増上寺は東京都港区。

東京のど真ん中にあるお寺です。

 

 

開山は明徳四年(1393年)。

室町時代から六百年続くお寺で
浄土宗七大本山の一つに数えられます。


もともとは、現在の千代田区

(武蔵国豊島郡)にあり

現在の芝地区には1598年に移転しました。

 

増上寺は、江戸時代のはじめ

家康公から、徳川家の菩提寺として選ばれ

 

 

現在「徳川将軍家墓所」には
二代秀忠公、六代家宣公

七代家継公、九代家重公

十二代家慶公、十四代家茂公の

六人の将軍たちと親族が眠っています。

 

また、家康公の遺言「日光に遺骸、葬儀は増上寺

遺灰は三河(生まれの地)へ」により

家康公の死後には、増上寺で盛大な葬儀が

執り行われたとされています。

 

 

徳川将軍家墓所の青銅製の鋳抜門。

6代家宣の「文昭院霊廟」内にあったものが

移築されました。

 


 

増上寺の大門から大殿本堂に至る道程は

穢土(えど・我々の世界)から極楽浄土に

至る世界を表しています。

 


三門をくぐり、煩悩を解脱して

大殿へと向かうと

 

ご本尊である阿弥陀仏が

西方極楽浄土のように

西に位置鎮座されています。

 

増上寺の大殿(本堂)は極楽の世界を

視覚的に表現した造りになっています。

 

 

<勝運を招く黒本尊>

 

家康公が守り、本尊にしていた

「黒本尊」という阿弥陀如来像が

「安国殿」に安置されています。


陣中にも奉持して戦の勝利を
祈願していました。

 

数々の戦に勝利し、度重なる災難を退け
天下統一を果たしたのは、この御本尊の
おかげとも言われています。

 


家康公の死後、増上寺に奉納され

勝運、災難除けの霊験あらたかな仏として

江戸以来広く庶民の尊崇を集めています。

 

秘仏の黒本尊は、1月、5月、9月の

各15日の年3回だけ御開帳されます。

 

また、増上寺は

近くに建つ東京タワーに集まる【天の気】

東京湾から流れ込む【海の気】が融合され

運気が非常に高まる場所といわれています。

 

このため「勝運」や「仕事運」が
アップするパワースポットと

しても人気です。

 

 

また、徳川将軍家墓所の墓所に

お参りさせていただくと

それぞれ受け取れるエネルギーが

あります。(人によって違います)

 

神田明神も、増上寺も

江戸時代にとても大切にされていました。

 

 

東京(江戸)で

活躍したいと思う方は

一度は、ご挨拶に伺うのが

オススメの神社仏閣です。

 

何度も参拝されている方も

一緒に参拝させていただくことで

また違う発見をしていただけるかも

しれません。

 

 

人によってエネルギーの

感じ方は違いますが・・・

 

当日、わたしたちが

パワースポットだと思う場所を

お伝えさせていただきます。

 

4月23日(日)

江戸の鬼門封じ

江戸総鎮守【神田明神】

徳川家墓所【増上寺】参拝

 

当日のお申込&詳細はこちらになります

 

 

勝負運や縁結びの

ご利益もありますので

実現力をつけたい方にも

オススメです!

 

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