「呉越同舟」という故事は、

仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。本来は、仲の悪い者同士でも同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりするたとえです。


コレ実は、『孫子』の~九地~がもとになっています。


「呉」「越」はともに中国春秋時代の国名。

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隣り合わせの「呉」「越」は、父祖以来の因縁の宿敵同士で、その攻防戦は三十八年に及びお互いに憎みあっていました。


「孫子」を記した孫武は呉につかえていました。その経験に基づき、

呉と越は仲が悪い。
仮に呉と越の人が同じ舟に乗り合わせて、嵐がきたらどうするか。
彼らは助け合って“死地”を脱するはずだ。

とたとえたのです。


また「臥薪嘗胆」という言葉も、「呉」「越」の関係から生まれました。

臥薪嘗胆
復讐のために耐え忍ぶこと、また、成功するために苦労に耐えるという意味。


臥薪嘗胆の語源の由来(諸説あるため、そのひとつです)

『史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっている)。

まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。

勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。

その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。

夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王への復帰を認めなかったために自殺した。


「故事」というのは、文字通り昔から伝わってきている、いわれのある事柄なのです。





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