神様と私の心の距離 | 神様は生きていらっしゃる

神様は生きていらっしゃる

人の生き方を左右する根本問題に触れていきます。

神様がいらっしゃると

その事実に対する確信を持つ人達は多くいらっしゃると思います。


しかし、

神様の心情を「感じる」ことが出来る人はそう多くありません。


神様がわかるといっても

神様の何をわかっているのでしょうか


こんな言い方はちょっと傲慢ですね

知ったかぶりをして



神様をよく知っている人は

まず

神様がこの宇宙を創造する前の状態から理解していなければなりません


それから

どうしてこの森羅万象を創造されようとなさったのか

その動機と目的についてわかっていなければなりせん。


さらに

人類が誕生したあと

どのように世界を見つめてこられたのか


私達人間に「心」がある以上

神様にも共通の「喜怒哀楽を感じることができる情」を持ちあわせた「心」があるはずですから

私達が神様に通じたということは

すくなからず

神様との心の情的な交流がなされたことになるはずなのです


もし

神様との情的な交流がなされたなら

今の神様の心境は一体どのようなものなのでしょうか


実はここに

人間の感性のレベルが大きく左右してしまうのです。


神様の存在を実感されておられる人でも

感性のレベルは人それぞれ違います。


神様を裁きの、恐ろしい存在として、厳格な原理を全面に出す神様と捉えたならば

神様に対する畏敬の念 こわさ、恐れが心を占領してしまうかもしれません。


神様は愛である


この言葉も、ひとそれぞれ「愛」に対する感じ方や考え方がちがいます。

ですから

神様の姿は十人十色となって現れることでしょう。

神様が目に見えないというのも

実に厄介なお話です。


「おまえ以上に私の心を読み、感じている人はいない」


そのように言わせしめる人が現れない限り

本当の神様の姿を知る術を

人類が学ぶことはできないでしょう


もし

この地上に

神様の本当の事情を知る人が一人もいないというのであれば

神様は実に「孤独な神様」となっていることでしょう。


ご自身が創造した、いわば、わが子どものような立場にある人類であるにもかかわらず

創造した、大本の神様がわからないとなった時

そこには「孤独」という言葉に加え

あまりにも悲しい心を抱きながら

今日まで生き続けておられる方であると

察することができます。


神様との心の距離が近づくにつれて

壮大なスケールでこの宇宙を創造した偉大なる方であるはずの神様が

実はあまりにもみじめな

悲しみの中にある、悲惨極まりない姿となっておられることが

私の心に「実感として」感じるようになるのです。