今日はクリスマス・イブ
街角は華やかなイルミネーションで飾られ、
多くの人びとは浮かれた気分でクリスマスを祝います。
子ども達にとっては、サンタクロースがプレゼントを下さる、夢膨らむ一日でもあります。
クリスマスはキリスト教徒にとっては聖誕祭、すなわちイエス・キリストの誕生された日を祝う大切な一日です。
33歳の短い生涯で終わるとは誰も予想しなかった偉大な聖人として、
罪なき人が、人類の罪を背負い、十字架にはり付けられて亡くなった方。
この人は、当時馬小屋で生まれたと言います。
「信仰」というフィルターで受け止めれば、すべてが美談と化し、「聖人」の名にふさわしい生涯として
脚色されます。
しかし、
現実的な観点でシビヤにイエス様の誕生やその生涯を追ってみると
それは「栄光の主」という姿を探すことが困難なほどに、悲惨な生涯を過ごされました。
まず、イエス様の出生。
母マリヤは神によって身ごもったとされています。
しかし、現代科学では通用しない話です。必ず父親がいるはずなのです。
父親を明かすことができない「何か」の事情があったということが伺われます。
それが証拠に、イエス様は馬小屋で生まれました。
子どもを産んだ経験のある人ならば、
妊婦が出産する場所を、わざわざ衛生上劣悪な馬小屋を選んで産むという事は考えられません。
ということは、
馬小屋で出産しなければならない事情がマリアにはあったのです。
マリアの夫はヨセフと言いました。
正式に結婚する前に
マリアのお腹が大きくなり始めました。
結婚を前にして、当然夫になるヨセフはマリアに尋ねたに違いありません。
「あなたのお腹の子どもの父親は一体誰なのか?」
当時ユダヤの律法は、姦淫の罪というものがあり、
夫がいる立場で他の男と姦通し、子どもを孕んだ場合は
石で打ち殺してもよいことになっていました。
ヨセフはひと目をはばかって、妻マリアを連れて馬小屋に行くことになります。
当時の人物になって、状況を見てみようと努めると、
一人ひとりの心情が伝わってきます。
複雑な家庭事情を抱えて、イエス様は誕生されました。
クリスマス・イブになると
思わずイエス様の真実の姿を考えないではおられません。
ここにも
未だ知りえぬ真実が隠されています。