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三代目WEB桟敷

力士分析などを行う相撲研究サイト「大相撲パラサイト」のブログです。

勢力評価 C (前年C+) 

 

一門の歴史

 現役時代の角聖双葉山が、元大関鏡岩の粂川から部屋ごと譲り受け、立浪部屋から現役のまま独立した「双葉山道場」が起源。引退後は時津風部屋となり、巡業を共にした伊勢ノ海や井筒などの伝統ある部屋が合流し、古巣立浪とは別の一門を形成した。

 大双葉が率いた時代には角界屈指の大部屋で、粂川部屋時代に入門した横綱鏡里、大関大内山、北葉山、大学相撲出身力士の草分けである大関豊山、と次々強豪が育った。江戸期からの伝統ある伊勢ノ海部屋の横綱柏戸が長年綱を張り、一門は存在感を示していた。

 ところが、40年代に横綱、大関が次々引退すると、鏡里の立田川、柏戸の鏡山、鶴ヶ嶺の君ヶ浜と、なぜか各部屋の出世頭が継承せず独立。次のホープが欲しい時期に部屋の規模が縮小し、世代交代がうまくいかなかった。長らく賜杯も横綱・大関の座も遠ざかった。

 昭和50年代の最後の最後に鏡山部屋の多賀竜が平幕優勝して、何とか一矢。昭和60年代、平成の初めにかけては、君ヶ浜が改称して再興した井筒部屋が隆盛。霧島が大関となり優勝も飾ったが、その後はまた長い空白が訪れた。

 平成20年代に井筒から横綱鶴竜が誕生。大関は霧島以来、横綱となると柏戸以来半世紀ぶりの誕生だった。断続的ながら伝統を引き継ぐ井筒部屋にとっては、昭和初期の3代西ノ海以来の横綱となった。

 令和に入ると、時津風の正代が優勝して大関に昇進。同部屋勢の優勝は北葉山以来、大関昇進は豊山以来、いずれも57年ぶりの名門復活劇だった。霧島が継承した陸奥部屋からは霧馬山改め霧島が大関に。さらに長らく小部屋だった荒汐部屋から若元春・若隆景兄弟が三役常連に。若隆景は優勝も果たし、大関目前まで迫った。長く他の後塵を拝していた一門としては、全盛期ともいえる隆盛を見せている。

 その間、比較的安定した構造を維持していた一門にも変化の波が訪れた。平成20年代終盤に追手風一派が合流、錣山、湊が離脱。令和に入って中川、井筒、鏡山が閉鎖。井筒は師匠急逝によるもので、同部屋出身の霧島が率いる陸奥部屋へ合流し、現役横綱の鶴竜が移籍する異例の事態となった。陸奥部屋も井筒部屋から改称した部屋なので、再び統合したという見方もできるが、その陸奥も令和6年春場所後に師匠停年で閉鎖。霧島師弟は先立って独立していた鶴竜の音羽山部屋へ移籍し、井筒の流れを汲む唯一の部屋となっている。

 

 

直近の動き

 三役に定着する霧島、若隆景、二桁勝つものの、故障持ちゆえの調整の難しさか、大関には手が届きそうで届かず。若元春も上位を苦しめるものの三役には定着しきれない。


 長年多くの力士を抱えていた追手風部屋は、遠藤、大奄美、大翔鵬と立て続けに引退。大栄翔、翔猿も30歳を過ぎてベテランの域。

 一門としても世代交代の時期を迎えているが、伊勢ノ海部屋の若碇改め藤ノ川の活躍は大きな希望となっている。小兵ながらも真っ向勝負あり、飛び道具ありの暴れっぷりで、新入幕三賞など2度の二桁で上位進出。父の四股名を飛び越しての襲名にも全く名前負けせず、期待に応えている。
 

 各部屋とも関取を抱え、新興の音羽山部屋にも新弟子が順調に育っていて、今後が期待される。

 

大相撲パラサイトー部屋データR7