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三代目WEB桟敷

力士分析などを行う相撲研究サイト「大相撲パラサイト」のブログです。

史上最速の新入幕で角界のスター候補と騒がれ、相撲人気急回復に一役買った功労者。スー女ブームを巻き起こしただけでなく、華麗な取り口で玄人人気も高く、長く上位で活躍した。

 

2冠を引っ提げ、平成25年春幕下10枚目格付出デビュー。2場所で関取となり、新十両では14勝で優勝。史上最短、所要3場所での新入幕を果たしたザンバラ髪の似合う端正な力士には同郷の輪島と重ねて両国の星と大きな期待が寄せられた。早々と勝越しながら左足首の負傷で途中休場したが、3場所目で初の三賞。5場所目には初金星も得るが、三役を前に頭打ちとなる。さらに若くして膝に重傷を負い、度々と途中休場を余儀なくされた。

十両転落も経験するなど苦しんで、三役昇進は平成30年までかかった。それでも状態が安定すれば大物を食ったり、13勝を挙げたりとスター候補ぶりを垣間見せていた。

 

令和を迎えてようやく上位でも星を残せるようになり小結は5場所。勝越しもあった。金星7。三賞6。最後の三賞は3年夏。連覇目前の大関照ノ富士を足一本で踏ん張って大逆転勝ち。1差で優勝争いに残り結果11勝で4度目の技能賞を得た。

以降は途中休場が目立ち、上位での活躍が難しくなった。6年には3連続で10敗、2度目の十両転落。ここから中位までよく戻ったが、7年名古屋から連続全休。限界を迎えた両膝の手術に踏み切り、そのまま土俵には戻らず年寄北陣を襲名した。

 

全盛期で150キロ余りと大きくはないが均整の取れた体型で、突っ張りから左四つの正統派。どの技も基本に忠実で無駄がなく、右からの上手投げ、出し投げも美しく決まった。当初は馬力不足が課題とされて上位では苦戦が続いたが、徐々に圧倒されることは減って前にも出られるようになった。常に足の故障に泣かされていたが、足腰はしなやかでしばしば粘り強い逆転も見せた。相当状態が悪いにも関わらずサポーターはできるだけつけない美学を持っていた。

 

幕内通算では69場所、35歳まで戦いながら勝敗はほぼ五分。三賞や金星も豊富で名力士に数えられることは間違いない。しかし、5場所在位した小結では勝越しもあったが関脇には縁がなかった。出世の早さに四股名が追い付かず、追手風部屋ゆかりの清水川襲名の噂も次の出世のタイミングがなくいつしか立ち消えたが、通算成績では2代目の小結清水川を一回り上回るくらいとなった。

もちろん初代清水川のような人気大関を期待したのだろう。絶えて久しかった日本人横綱を期待された当初のスター性からすれば、少し物足りなさも感じるが、歴代小結の中では幕内最多勝利を記録するなど、記憶だけでなくしっかり記録にも名を残した。

 

https://ameblo.jp/sumopara/entry-12942199085.html

(平成の小結 幕内勝率・勝利数ランキング)

http://sumoparasite.web.fc2.com/03-2san.htm#遠藤21

(令和3年版現役力士データ)