平成の幕内力士【師匠編】⑫大道、蒼国来 | 三代目WEB桟敷

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大道

 通算決まり手で寄り切りを上手投げが上回る、近年珍しい力士。

 専大出身で、四股で一世を風靡した片山のいた阿武松部屋へ。長らく幕下で足踏みし、十両目前で顎を骨折。十両は早々に突破しかけたが、賭博事件で謹慎し幕下転落。新入幕では28歳となっていた。定着に成功し2年13場所連続で在位。連続勝ち越しで迎えた25年名古屋だったが、初日から黒星が続き、千秋楽にどうにか全敗を逃れたものの突然の大乱調で幕内を明け渡すと、その後は復帰ならず。2年十両を保ったのち、幕下で負け越すと引退を表明した。

 部屋付で残ったが、先代師匠が体調不良で急遽退職し、阿武松部屋を託された。

 

 元関脇益荒雄の阿武松が大鵬部屋移籍を経て興した新興部屋だが、独立に協力した大鵬の影響を受けてか、貴乃花一派として二所ノ関一門を離脱。そこから野球賭博問題では弟子らが主犯格や常連として厳しい処分を受ける激震。貴乃花一門が拡大する一方、貴闘力の解雇、貴ノ浪の急死、間垣の退職と続き、一門の重鎮となった。貴乃花が理事解任の理事選では一門代表に推されて当選したが、貴乃花は強行出馬して袂を分かち、一門解体となってしばらく阿武松グループと呼ばれていたが、二所一門に戻った。ようやく落ち着くかと思われたが、この間の心労も祟ったか、突然退職となり、後を託された。部屋付きの元若荒雄と共に新たな時代を築きたいが、長らく関取は阿武咲一人だったが、名古屋場所で勇磨が昇進した。

 

 

蒼国来

 2年半ものブランクを経て復帰した苦労人。

 中国内モンゴル自治区出身。身体が細く関取になるまで7年を要したが、地力が開花し幕内にも定着かというところで八百長認定され、敢然と否認を貫き解雇処分となった。諦めずに訴訟を起こし、時間を要したが、解雇不当の判決を得て復帰が決定。最終成績を基に幕内での復帰となった。すぐに十両下位まで下がったが、感覚が戻ると自己最高位を更新。33歳になった29年1月には12勝の活躍で技能賞。翌場所には日馬富士から金星も挙げた。その後は幕内での勝ち越しはなく、2度目の幕下転落で引退。

 軽量だが上手を取ると力強く、吊りも見せた。右四つだったが、いつの間にか左四つが軸になった珍しい転向例。

 日本国籍を取得しており、部屋付きを経て、師匠停年により荒汐部屋を継承。大波兄弟がついに本格化。若隆景が初優勝、さらに若元春も大関に迫り、かつての小部屋を隆盛に導いている。