隙間なく、密に、ずうっと嵐。
「紅白の嵐、よかったねぇ」年が明けて、母にそう言われ、最高だったよねぇと笑ったつもりがそうはならず、「泣いちゃった」と少し困ったように笑われた。2年前も、わたしはこんなだった。なにで知ったんだったか、たぶんTwitterのトレンドだった。活動休止の文字をみて、なんだか嫌な予感だ、と思い、わたしの嫌な予感はいやなことに、何故だか当たるのよね、と思ったら、まさにだった。カメラに向かって話す5人をみて、たぶん呆然としながらも、泣いて泣いて、やっと落ち着いて、リビングにいった。ふと家族のだれかに、そのことに触れられた瞬間に、顔をぐしゃぐしゃにしてまた泣いた。そのときと同じだった。外向きには、わりとフラットに過ごすことができるのに、あのひとたちにかんすることは、てんでだめ。まるでコントロールが効かない。あぁぜんぜん落ち着いてないな、と泣いて気が付いた。年末、思いの丈をおもうがままに吐き出そうと何度かしてみたのだけど、上手くゆかず、どうしても懐古してしまうし、だけど5人が感傷的なものを目指していないことを知っているがゆえ、それに水を差すようなことは言いたくない、みたいな過剰な自意識があって、書けなかった。みんな、そんなかおをするの、と。そんなふうに、おもっていたの、と。わたしはなにも知らなかったな、わかってなかったな、どうしよう、もう時間がない、と。翔くん、さいごみんなで横に並んで、取りあった手を挙げたとき、なにを思ったのだろう。そこからどんな景色をみたんだろう。あんなかおをして、涙を流すなんて、知らなかった。聞いてなかった。涙するメンバーをみて、眉を下げながらやさしくほほえんで、涙を浮かべるすがたしか知らなかったから。あんなふうに堪えて、堪えて、堪えきれなくなってしまうとおもわなかった。最後の最後、堪えきれないながらも、口をきゅっと結んで、すこし微笑んだようにみえた。アンコールもあるかもしれない、と少しおもっていたけれど、なかったでしょう。嵐として、いったんの最後にみた翔くんの記憶。あのすがたを、きっとわたしは忘れられない。大野くん、バカみたいな感想で自分でもどうかと思うのだけど、大野さんは、わたしが思っているよりずっとずっとずうっと大人の男性だった。どうにも上手く言えないのだけど、4人の人となりについて言葉を連ねる様子が、わたしには初めてみるすがただった。「守ってくれてありがとう」に、これまたどうにも形容できないきもちでいっぱいになって、もう画面がみられなかった。果たして、守れたのだろうか。あなたが祈りつづけてきた嵐のみんなを、嵐のまわりのたくさんのひとを。器用でなんでもそつなくやってしまう、きっとそれはそうで、間違ってない。だけど、そこにあったもやもやと、葛藤と、責任感に、どれだけのひとが気付けていたのだろう。わたしが知らないだけでみんな気づいていたのかもしれない、とおもうと、余計にほんとうにわたしはなにを見ていたんだろうとおもうのだけど。うたばんがもうほんっとに大変だったと言っていたのにびっくりして。けれど、よく考えればそりゃそうだとおもった。あんなプレッシャーってない。ねぇ。どうして大野さんはだいじょうぶ、みたいな、だいじょうぶかな?みたいなところに気持ちがいかなかったのかな、と今さらながらおもうの。わたしは、あなたを守っていたファンの子たちのなかに、いられただろうか。20周年のライブ、「長いようで、長かった」と話してくれたね。そうだよね。ずうっと嵐だったもんね。だれかが離れようと、環境が変わろうと、5人だけはずうっと隙間なく嵐だった。ずうっと嵐でいてくれたこと。いるつもりのなかったところだったのに、ずうっとずうっといてくれたこと。「お休みでいいんですか」というところに、休止というかたちに、着地してもよいとおもえるような、そんな4人と肩を組んで、階段をのぼる姿。良いえがおで、さみしくて、ほっとした。二宮くん、本音なのだといって吐露したとき、わたしのなかでなにかが爆ぜた。表現がわるくてごめん。決壊した、というか、にのちゃんがそんなこというの、あぁもうダメだってなった。嵐を好きなひとがみる二宮くんは、特に、ほかのメンバーと比べても特に、一般的なみられかたとは乖離しているというか。たぶん、二宮くんをいちばん心配している、というひともたくさんいるんじゃないかと勝手におもってたの。休止になったそのあとの二宮くんを。にのちゃんは嵐がほんとうに好きじゃん、死ぬほど大好きじゃん。当たり前のこと言ってごめん。VS嵐の最終回、いちばん泣いたのは、にのちゃんが「(おかしいな)おまえは…」って相葉くんに言ったところだった。ちゃんとバラエティになるように引っ張るのに、笑いにもっていこうとするのに、なんちゅう声出すの、顔するの。すごい年上なのにごめん。なんで泣いたかわからない、語らない、と言っていた二宮くんが、もういよいよ年明けだ、というタイミングで、30日の夜に考えていたことをはなしてくれたの、取り上げられるかんじがしたとはなしてくれたの、もうどうしようもなくなるのも仕方ないと思わない?聞いてるか二宮くん。びっくりするくらい泣いたわ。にのちゃんから嵐を奪うなよ、と一体誰の味方だよみたいな気持ちになったよ。相葉くん、自分を除いた4人は人としてトップだったと、そう言ったけれど、あれをみたひとすべてがおもったけれど、相葉くんはトップだよ。きっと本人にそういったっていやぁって言うだろうけど、直接そう伝えることはできなかったけれど、お願いだから知っていてほしい。知っていてね。ゆっくりでも、遠回りしても、止まらないように、5人で歩いていけたら、おれはいちばんうれしい。あのことばを、思い出したりしていた。ときに、ひたすらに前をみて進みつづけるひとと、変わらないことの難しさをしっているからこそ、現状維持を口にするひと。嵐は当初、しょにのじゅん、だった、らしい。そこになんであいばがいないんだと、かわいそうじゃんという社長のひとこと。パスポートもってる?って聞かれて、もってたから、ハワイにいけたけど、おれだって何番目に連絡もらったのかわかんない、そんな話もしていたね。大野くんが、いまのじぶんたちを「トップじゃん」と、潤くんが「おれがトップになりたいって言ってもだめだった」のだと言っていた。なにがトップかっていうと答えはやっぱりないけれど、トップかトップじゃないかと言われると、まちがいなくトップのあなたたちが、トップである根っこは、相葉くんじゃないかな、なんておもっている。しょにのじゅんの3人に、もちろん大野くんも必要で、相葉くんだって必ず、必ずいなくちゃダメだった。知ってるよね。知ってるとおもうけど。もしかしたらときにバラバラになりそうなとき、結び目がほどけそうなとき、それを結びつけたのは、横にならんで、5人で前へ進めたのは、相葉くんだったんじゃないかとおもうことがあった。15周年、ゆっくりでもさ、と話しはじめた相葉くんに、嵐の結び目がきゅっとなったのを、みんなが感じた。ちょっと不安をおぼえた画面の向こう側のわたしたちを安心させてくれたのは、あなただった。昨年のしやがれSP、大野さんとお話しする相葉くんにも、ずいぶんと救われた。緑のペンライトを振るわたしたちに、「それもみんなわざわざ買ってくれたんだよね。知ってるよ、安くないの」と言ってくれたこと。いつも温度をのせて、話してくれること。最後まで、声に温度をのせて、くれたこと。いくらありがとうといっても足りず、いくらでもあなたはトップだとつたえたいよ。潤くん、堪えようとしていたけど、やっぱりだめで、もう堪えられないままに沢山の想いと愛を届けてくれて、ありがとう。顔を手で覆って、泣いてしまう潤くんが、目に焼き付いてしまって、もうそろそろ明けがたになろうとしている。「速度上げていくんで」まだまだ、みんなに見せたい景色がある、と。19年の12月、and moreの名古屋公演でそう言っていた。2020年はつらいことがとにかく多かった。きっと、そんなひとで溢れていた。2020年なんて来なければよかったと、わたしも本気でおもっていた。いまも心のどこかで思っている。積み重ねてきたものが音を立てて壊れてゆき、なんとかリカバリーを図り、それも崩れてゆき、けれどやるしかなかった。後になって、いまさらダメージがきている、voyageでそう話してた。潤くんがやりたかったこと、やれなかったこと、見せたかったこと、叶わなかったこと、それがどれだけあっただろうと思うと、ほんとうに、ほんとうにいまなお遣る瀬のない気持ちに襲われる。ぎゅっと詰まった、1年になりますようにと、心から祈っていた。嵐が、嵐のおもうように、嵐をたためますように、と、心底祈ってたの。なにもかもが、思いどおりにゆかなかったと、おもう。白紙になったこと、断念したこと、こちらが知らないことも数多あるとおもう。ただ、いつだったか、ライブをつくる過程を“光の見えない時間”と話していたけれど、この1年、潤くんが、嵐がみせてくれたものは、まぎれもなく光だったよ。なんか大丈夫かもしれない、と何度おもったかしれない。こちらは心配することしかできないのに、いつもたくさんの笑顔と希望と安心を届けてくれたこと。2020年、コロナウイルスと、その流行に伴って起こったすべての事象をわたしは許せないけれど、世の中が絶望しているときに、潤くんが、嵐がいてくれたことは、ほんとうに光だった。「俺が嵐を好きでいる以上に…みんなは嵐を好きでいてね」19年の名古屋で、潤くんがそう言ったの。会場全体はもうおぼえてないのだけど、少なくともわたし含め、周囲はなんて反応するのが正解…?てなってた。イェーイでいい?拍手か?みたいな。まばらな反応で、わたしはどうしたらよいか分からず、ただ立ってた。潤くんがさらになにか伝えようとしてくれたから、「あぁニュアンスが伝わらなかったから、つまりこういうことが言いたかったんだよ」って教えてくれるんだなとおもった。んだけど、特になにを教えてくれるでもなく。「約束だよ」そう言われた。わたしはなんだかものすごくびっくりして。『悪いけど結局俺らが一番嵐のことわかってるよ』ってドヤ顔してくる5人を好きでいた身としては、衝撃だった。なんでそんな約束をくれたの?と思って、今もその答えはでてないのだけど。でも、まぁ無理だったなと思って、書いてる。潤くん以上に、嵐を好きでいるのは、無理だったわ。This is 嵐 LIVE、あんな愛しかないステージ見たことなかった。ピカダブ、屋上とかもうPVじゃん?!(そこ)One Loveのピンク色に染まったドームが、あんまり綺麗で。初日にして、最終日。圧巻だった。一発勝負で、あんなに大正解なこと、あるだろうか。泣かないでよ、とおもいながら泣いてた。嵐は夢だったんだ、潤くんの。つづきを一緒にみられるときが、くるかなぁ。わたしはなんていうか、憧れだった、嵐も、潤くんも。国民的アイドルなのに、なんかぽんこつ、俺らなんもできないんすよ~みたいなかんじでやってるのに、自分たちが圧倒的にトップだと、1番だと解っている、センターを、トリを、ジャニーズを背負ってる自覚というか自負が見える、そういうところ。けど、なんかやっぱりカッコつかないとこがあって、VS嵐の最終回でさいごのさいごにあり得ないぽんこつさを出してくる、とかそういうところ。嵐が走る、その道の途中も途中で出会って、ずっとずうっと5人は憧れだった。これからも嵐の音楽を愛しているし、過去のコンテンツだって山ほどあるからね。ちゃんちゃんこきてデビュー曲踊る嵐を、着座でライブする嵐をたのしむ準備しておくよ。こっちが勝手にすることなので、気負わないでだいじょうぶです。だれかが、もう1回嵐やろうよといったとき、うんやろうよ、やりたいよ、と、みんななってくれないかな。そんな未来があればいいな。今日は、まだみんな一緒にいるのだろうか。美味しいお酒飲んだかな。来週の火曜日、嵐みんなも休止をまた実感するのかなとおもうと、さみしさが少し紛れる気がする。21年間、だれよりも、ずっと嵐でいてくれて、ほんとうにありがとう。5人でいつづけることを、譲らないでいてくれて、ありがとう。たくさんの愛と幸せをありがとう。2021年、まったくまったく想像がつかないけど、どうか5人みんなが最高の1年を過ごせますよう。どうか、どうか、元気で、幸せでいてください。おなかがいっぱいになるほどの、ありがとうと大好きを。嵐へ。