嵐の曲をあまり聴こうとならなくて、だけど今日はな、と思って朝と仕事帰りにひさびさに聴いた。あなたの声はほんとうに特別だなと改めて思う。好きだった、毎日聴いていたこの声。携帯がなくて、ウォークマンしか持っていなくて、曲数だって少なくて、同じ曲ばかりを何度も何度も。もう10年も前になる、あなたの声だけを毎日聴いていた頃を思い出す。

わたしは笑ってしまうくらい感傷的な子どもで、まあ今もひとりでセンチメンタルジャーニーすることはあるけど、そんな今のわたしから見ても不思議なくらい、しょっちゅう悲しみに浸っている子どもだった。今思えばどれも大したことではなかったけど、学校と、友だちと、部活と、家族がわたしの世界だったから、信じてみたり、絶望してみたり、傷つけたり、怒ったり、泣いたり、揉んで揉まれて、ほとほと疲れると、いつもあなたの声を聴いていた。何度泣いたか知らない。ラブソングなのにねえ。あなたの声は救いだった。

今日、ついさっき、感情が爆発すると悲しくないのに涙がでる、自分が悪いとも思っていないのに。と言ったひとがいた。

かつてのわたしも圧倒的にそうだったのだけど、いつのまにかなくなったなと思って。こんなこと、こんなひとのために涙など出すものか、見せるものか、と。いつからかそうなった。

だから、もうあまり君の曲は聴かない。今のわたしには必要ないの。それがどうしようもなく寂しくて、だけどもあんまり特別なので気軽にも聴けないし、いつもとても困ってる。ラブソングなのにね。聴けばいいのにねえ。

ほんとうに久しぶりに聴いた。いつも会社までの道のり、同期と歩くのだけど、今日だけはひとりで行きたいなと思った。やっぱり10年経っても特別で、誰にも侵されたくない時間がぽんっと生まれた。2007年のあなたの声をずうっと大切にしているひとが、どれほどいるのだろう。すごい仕事だ。

2017年の今日、二宮くんはどんな思いでいたのかわからないけれど、しかしそれに思いを馳せてはひとりしんどいのだけど、今日は楽しく過ごしていたらいいなと、いてね、と心から思っている。

どれだけ救われただろう。両手両足でも足りないな。そんなことを一日中思ってた。

ずっと、特別なにのちゃんへ。36歳の誕生日おめでとう。どうか、いつまでも元気で、健康で、幸せでいてね。良い一年になりますように。おめでとうと大好きとありがとうを、心から。