ダークサイド(影)も書く事にした

maruです(^-^)




 TODAY'S
 

津波被害後の実家があった所へ

~2011/3/26(土)


震災から約2週間後の 2011/3/26


私と弟が両親の避難先に

行った時の話です。



車で地元に向かいました。
地元の入り口のところで

一旦車を止めて

様子を見ました。



その後は

弟の車に乗り込み

私の自宅があった所をめざして

車を進めました。


道路の瓦礫は撤去されていて

車でスムーズに進めました。


津波が襲った場所なので

道路以外は瓦礫が散乱しており

隣の隣?の湾の名前が入った

大きなプラケースもありました。




到着…

車から降りて様子を見ました。





写真はこちらです。





石垣が見える所が
実家が立っていた場所です。

道路は瓦礫が撤去されています。





防潮堤はここから見ても
決壊の痕跡はありませんでした。

山の下に見える
白いガードレールのところまで
津波が来ていました。





黒い瓦の自宅の屋根が
壊れていますが
(亡くなった方を)捜索するために
壊されたそうです。


防潮堤の海側には
防潮堤より高い瓦礫が
山積みになっています。



過去には

父が経験した

昭和時代の津波では

家が流される事はなく

床下浸水?で済む程度だったと。




明治時代の津波では

私のご先祖様が2人だけ

生き残ったそうです。


その2人はここに(地元に)

居なかったから

助かったそうです。





明治の津波の話か?

わかりませんが


私が父から聞いた話だと


昔、津波が来たけど

家の柱につかまって助かった人が

いた


と。




古い自宅は

明治時代に建築

明治の津波で家が流されたのですが

元々建て替えの予定で

当時の小学校だった木材を

確保していたので

すぐに建てられたと。


津波に襲われた土地でしたが

同じ場所に建てたようです。





平成時代に

父が家を建て替えました。


その時は

道路より低い土地に土を盛って

前よりは 2,3mは

高くなっていました。


なので

父が経験した昭和時代の津波には

耐えられる高さで


明治時代の津波が

家の柱につかまって助かったなら

2,3m高ければ

何とか大丈夫な高さとの

思いがあったのかもしれないです。





まとめ

東日本大震災の津波は

千年に1度の大きさだったと

言われています。


その津波で

両親は助かる事が出来ました。



千年に1度というのも

震災が起きてから

検証されたのだと思います。


なぜなら

想定以上の津波が来たので

従来の避難場所だったら

助からなかったからです。



元々

日本は災害が多い国です。


江戸時代には富士山が噴火し

大正時代には関東大震災も

ありました。


日本の歴史は災害と

ともにあるのだと思います。


日本にいたら 

災害はあって当たり前なのだと

思います。

(安全なところもあるとは

思いますが)





ちなみに

私がこの思い出を

ブログに書いているのは

自分のためです。


私は蠍み♏が強いので

こうして書くのは

本来は苦手なのですが


なぜ書くのか?の理由 、目的が

わかったので

書いています!(^-^)




以上

maruからでした。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

よい一日を (^-^)/~~