ダークサイド(影)も書く事にした

maruです(^-^)




 TODAY'S
 

津波被害後の地元へ…

~2011/3/26(土)


震災から約2週間後の 2011/3/26


私と弟が両親の避難先に

行った時の話です。

前回はこちら


母が一日だけ過ごした
近所の避難所へ
様子を見に行きました。



その後は
津波被害があった
地元を見に行く事にしました!

弟の車で

父と私と3人で向かいました。

車で15分くらいです。


父は地元と親戚宅を

行ったり来たりしていたので

様子はわかっています。




行く途中

海沿いに 約 1kmの防潮堤が

ありましたが

決壊していて


私の地元の道路側の

防潮堤は後方もなく

反対側の

防潮堤が少し残っている感じでした。




更に車で進む

海沿いの山道を通りますが

地元に入る手前で

道が半分崩れていて

(逆側はすぐ海のなだらかな崖?)


車はギリ通れそうだけど

歩く?って感じでしたが

車で通れました!(^-^)




地元の入り口にて

地元が一望出来るので

ここで一旦車を止めて

様子を見ました。



その時の写真がこちらです。





ここでわかった事は

手前のガードレールに引っかかっている物がある

この高さまで津波が来たということです。



コンクリート造りの建物以外は、ほぼ全壊

中央の緑屋根の白い建物は浄水場で

原型を留めているので

コンクリート造り?


左奥の白い建物は漁協で

コンクリート造りでした。



手前の白い壁の家など2階部分は残っていそうな家は、2,3軒。

中央一番奥の赤い屋根の家と白い家は形が残っていそうでしたが

それ以外は粉々な感じでした。



防潮堤は破壊箇所なし

防潮堤に波が当たって破壊された

痕跡は無く

防潮堤の上を素通りした高さの

津波が襲ったと思われました。






場所を少し移動して

 ズーム



黒い瓦屋根の家が自宅でした。
自宅は屋根部分しか残っていませんでした。



後で聞いた話

ガードレールのところまで

津波が来ていましたが

ここに避難した方々がいたと。


ここでも

亡くなった方

助かった方

がいたそうです。




まとめ

私の地元の地区は

ほぼ全滅でした。


奥に見えた家も、後で解体され


無事だった家は

写真のガードレールの手前

(私達の地区の高台の入り口)に

あった1軒だけでした。



想像はしていましたが

本当に、瓦礫が散乱している

とても信じがたい光景でした。




以上

maruからでした。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

よい一日を (^-^)/~~