リストクラッチ・エクスプロイダー -92ページ目

はやぶさに関わった人々 堀内康男

「はやぶさ」は様々な特徴を持つ探査機だ。小惑星からサンプルを採取するための、サンプラー・ホーン。サンプルを地上に降ろすための再突入カプセル。広い太陽系空間の中で、とても小さな小惑星に正確にランデブーするための光学航法システム、小惑星に安全に降りていくための各種センサーと自律航法システム。

しかし、「はやぶさ」を「はやぶさ」たらしめている一番の土台となっているのは、4基搭載されたイオンエンジンだろう。電子レンジと同じマイクロ波の照射という方式で、キセノンをイオン化し、電場で加速して噴射するマイクロ波放電式という独自の形式を採用したイオンエンジンは、累積4万時間の運転に耐え、見事に「はやぶさ」の小惑星イトカワへの往復飛行をなしとげようとしている。

堀内康男は、学生時代からイオンエンジン開発に従事してきた。NECに入社してからも開発は続いた。彼の人生の軌跡は「はやぶさ」用イオンエンジン「μ10」と重なる。

彼は「はやぶさ」を強運の探査機だという。その言葉は、イオンエンジンが起こした何度もの奇跡に裏打ちされている。


Q:イオンエンジン一筋でやってきたということですが、どういう経歴で今に至ったのでしょうか。
堀内:大学院の修士課程を栗木恭一先生の研究室ですごしました。そこで論文を書いたのです。「はやぶさ」に搭載されたマイクロ波放電方式イオンエンジンの研究が始まったところで、自分が最初のエンジンの試作と試験に参加しました。私が研究室入りしたとき、國中先生(JAXA/ISAS宇宙輸送工学系教授)は博士課程の3年でした。4年先輩ですね。ですから、今でも個人的には「國中先生」というより「國中さん」というほうがしっくりします。
Q:そのまま今度はNEC側でイオンエンジンに関わることになったんですね。
堀内:そうです。卒業時にどこに就職するかを考え、「イオンエンジンの仕事を続けたい」といったら、NECから声がかかって就職が決まりました。だから、最近の学生さんには大変申し訳ないのですが、私は就職活動をしたことがありません(笑)。
1993年頃から、「はやぶさ」計画が動き出してそのままイオンエンジンを作り続け、2003年の打ち上げにこぎつけました。
Q:その丹精したイオンエンジンを搭載した「はやぶさ」がいよいよ帰ってきます。帰還を控えて今のお気持ちを。
堀内:「ありえないことが起きている」という気分です。理屈で考えれば無理としかいいようのないことが、実際に何度も起きています。本当に「はやぶさ」は運の良い探査機だと思います。
私たちはできることはすべてやりました。運用室には「飛不動」というお不動様のお札が貼ってありますけれど、これは國中先生と私が「もう手は尽くした。最後に神頼みをしよう」と相談して、國中先生が見つけた「飛」という名前のお不動様に私が行って、お札をもらってきたんです。通信途絶の最中の2006年の年始には、川口先生も飛不動にお参りに行ったそうです。(笑えない笑い!)
Q:ありえないこと、ですか。
堀内:例えば2005年11月に2回目のイトカワへのタッチダウンを行った後、化学推進スラスターが燃料漏れで全部使えなくなりました。その状態で姿勢制御を行うということになって、イオンエンジンの燃料であるキセノンを中和器からガスを噴射して、姿勢を制御しました。そんなことは事前には全然考えていなかった使い方です。
そもそも、正常な運転状態では、中和器から噴くガスで推力が発生しちゃいけないんです。だから発生する推力もたったマイクロニュートン単位ですし、ロケットの性能指標である比推力もお話にならないぐらい小さいのです。ところが、それで姿勢をたて直してしまった。こんな使い方は、打ち上げ前はおろか、このトラブルに直面するまで考えもしませんでした。
Q:あれは確かにすごかったですね。
堀内:通信途絶から回復した2006年春のゴールデンウィークのことです。この時期、「はやぶさ」はくるくるとコマのように回って姿勢を安定させていました。ところが、このままでは姿勢安定が出来なくなるので、スピン速度を上げる必要が出てきました。もちろん化学推進は使えませんし、中和器からのガス噴射だと効率が悪くて推進剤がどんどん減っていってしまいます。
「イオンエンジンを使っては」という声があがりました、私は躊躇しました。
満身創痍の「はやぶさ」で高電圧を使うイオンエンジンを起動したら何が起こるか分かりません。あの時、「はやぶさ」との通信は往復40分の時差がありました。トラブルが起きてもすぐには対処できないんです。メーカーの立場としては機器をひとつひとつチェックして、慎重に動作を確認しつつ立ち上げをしたかったんです。でも、それでは間に合わない状況でした。
開発から運用までに係わった者として「もう「はやぶさ」は一度は死んだ探査機だ」と覚悟を決めてイオンエンジン再起動のコマンドを打ちました。そうしたらエンジンは何事もなかったように正常に動き出し、トラブルも起きなかったんです。
2009年11月の,イオンエンジン故障とそれに続く2基のエンジンのイオン発生器と中和器を組み合わせて1基のエンジンとして運転した時もそうです。エンジン2基を連結してのクロス運転は、本質的に地上での試験ができません。試験をやっていないことをいきなり宇宙でやるとトラブルを引き起こすことにもなりかねません。これ以上のトラブルが起きたら、本当にお終いになってしまいます。しかし、その時はもうその他の方法が残っていませんでした。
この時は國中さん(この時は先生としてより頼もしいエンジンの大先輩にみえました)が、「やる」と言って、エンジンのクロス運転を実施しました。すると、推力が発生し、「はやぶさ」は地球に向けての航行を続けることができたんです。




はやぶさに関わった人々 白川健一


「はやぶさ」からの電波は2700万km彼方の宇宙から届いた。



直径64m、臼田にある深宇宙通信用アンテナ電波を受信したのは、八ヶ岳山麓の臼田町にある、直径64mの深宇宙通信用パラボラアンテナだった。受信信号は地上回線を通じて、神奈川県相模原市にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)・相模原キャンパスの衛星運用室に届いた。信号はコンピュータによる処理を受け、ディスプレイ上に表示される。

運用室を声が飛び交う。
「軌道系、順調か?」
「イオンエンジン順調。ΔV(デルタ・ブイ:軌道制御量)は予定通りです」
「よし、イオンエンジン停止!第二期軌道制御終了!」

姿勢制御を担当している白川健一が、次々とデータが移り変わる画面を見つめながら「あと少し、まだ気は許せない」と考えていた。確かにこれで「はやぶさ」は地球に向かう軌道に乗った。しかし、地球のどこに帰還カプセルを落としてもいいというわけではない。カプセルはオーストラリアの中央、ウーメラ砂漠に落とすことになっている。そのためには数回、軌道の微修正が必要だ。

「はやぶさ」には軌道修正用の化学推進スラスターが装備されていたが、イトカワへのタッチダウンの結果使えなくなってしまっていた。軌道修正にも本来軌道修正用ではないイオンエンジンを使うしかない。あと少し、それも今まで以上に微妙で正確さを必要とする仕事をしてもらわなければならない。

彼の仕事はまだ終わってはいない。


Q:まず、帰還のための軌道制御が一段落した今の気持ちを
白川:報道などでは、もう「はやぶさ」の軌道制御は終わって問題なく地球へ帰還できるように書かれていますが、まだまだ微調整は続くんです。これからの微調整の結果が全て正常な帰還に繋がるので、今まで以上に慎重に運用する必要があります。ここまで来るともう後戻りは出来ませんからね。
姿勢をコントロールするリアクション・ホイールが3基のうち2基が故障していますし、通常の姿勢をコントロールする化学推進スラスターはもう使えません。だから、姿勢を安定させながら正しく軌道をコントロールするのはかなり高度な技が必要となります。
Q:あと何回ぐらい軌道を制御するのですか?
白川:イオンエンジンを噴いては止め、軌道を精密に計測して、次の噴射でどれぐらい軌道に修正をかけるかを決めていきます。だから厳密に何回やりますとは言えません。噴射の結果次第です。
TCM(軌道補正マニューバのこと)TCM1は5月1日から4日まで実施済
TCM2は5月24日から 5月27日にかけて実施済
「最新の軌道計画に基づいた軌道誘導の概要(提供:JAXA) 」に一部加筆

Q:白川さんと「はやぶさ」の関わりはいつからなのですか。また「はやぶさ」での白川さんの主なお仕事はどのようなものなのでしょう。
白川:1988年に入社してすぐ、月スイングバイを行った「ひてん」という探査機を担当しました。この探査機でスイングバイや月周回、月面衝突までさまざまな軌道制御を実地で学ぶことが出来てすごく自信がつきました。その後プロジェクトとしては中断しましたがLUNAR-Aという月探査機にも関わり、その後が「はやぶさ」です。開発当時に愛称は無くて「MUSES-C」と呼ばれていました。
「はやぶさ」開発では、主に搭載されたコンピュータ用の姿勢や軌道をコントロールするソフトウエアを担当してきました。電気を使うイオンエンジンの運用も、小惑星へのタッチダウンも初めての経験でしたので、なかなか苦労しました。
開発だけではなく、打ち上げ後も、かなりな期間、実際に「はやぶさ」の運用に携わっています。
Q:というと、2003年5月に始まって7年にもなりますが、最初の頃の「はやぶさ」との関わり方と、今の関わり方で心境の違いのようなものはありますか?
白川:あまり長かったという印象はないです。2003年の打ち上げから、2005年の小惑星イトカワ接近までは、自分の受け持っているサブシステムの担当としての役割に徹していたような気がします。変わったのは2005年秋のイトカワへのタッチダウンからでしょうか。
Q:何があって、どう変わったんでしょうか。
白川:あまりにも想定外のことが多く起こったので、これが自分の仕事の範囲だなんて言っておられなくなったんですね、チームが皆で「はやぶさ」の全てを面倒見るというか…
2007年に帰還運用に入ってからは、地球と「はやぶさ」間の距離が遠かった期間も長くて、遠い時は「8bps」1秒間に8ビット(1文字相当)しか情報が来ない時期がありました。必要なデータを得るのに何時間もかかってしまう、そんな運用です。しかも往復に電波でも40分もかかるという…
このとき思いました、自分はゆっくり燃える焚き火を見守る「番人」ではないかと。
Q:番人ですか。
白川:そう、番人です。長い長い時間をかけて、自分は「はやぶさ」の全てと対話してきたような気がします。だから7年間を振り返っても、長いとは思えません。
Q:運用をしている中で一番印象に残ったことは
白川:やはり2005年11月に2回行った「タッチダウン」でしょうか。何しろあれは想定外の出来事の連続でした。そもそもイトカワは予想外の表面形状でしたし、探査機にはすでにいくつもの異常が発生していました。開発当初に想定していた完全自律的な運用は困難になっていました。
そんな中で一番力を発揮したのは、想定外の出来事にぶつかった時に、人が介在して、要所要所で判断しながら運用を進めるというやり方そのものだったと思います。本当にあの時は宇宙航空研究開発機構(JAXA)、NECの運用チームみなで協力して日々新たな運用方式を編み出していきました。機械にはできない、人間の力のようなものを実感しましたね。
そうそう、2005年11月のタッチダウンの後に、はやぶさが姿勢を見失い、電力も無くなって行方不明になった期間がありました。2006年1月の終わりに、ビーコン電波が捕まったときは、「えっ!もう戻ってきたの」と驚いたこともあります。
再捕捉にはもっと時間がかかると思っていましたから、しばらく運用室に来ることもないかなと、そう思って荷物を片付けに来たまさにその日でした。
「はやぶさからのビーコンらしい!」という声が上がったんですよ。
Q:2009年11月のイオンエンジン異常発生時の心境はどんなものだったでしょうか。4基のイオンエンジンのうちAとBの2基を使って1基分の運転を行い、しかも実際に動いた時にはどのような感想を持ちましたか。
白川:この時は、こういった事態に備えて、電源系にバイパス回路を確保しておいたイオンエンジンの設計者に脱帽という感じでした。
「これで救われた」「はやぶさは強運だ」と思った瞬間でした。本当にこの探査機は、わずか500kgちょいの重量しかないのにタフで強運なんです。
Q:あと少しの運用となりましたけれど、これから一番注力したい点は何でしょう。
白川:何と言っても正確な軌道制御をおこなって、正しく「はやぶさ」を地球に導くことです。
Q:カプセルが戻ったら、どんな気持ちになると思いますか。
白川:カプセルが戻ったらですか?「はやぶさ、ご苦労様」ですかねえ。月並みですが。(笑)
Q:7年もの長いミッションをやり遂げて、これから何をしたいと思いますか。
白川:まだ考えてもいませんが、やはり「はやぶさの後継機」をやりたいです。自分がこの7年間で得たものや、作り上げたさまざまなソフトウエア・ツールを若い人達へ伝えていきたいと思っています。でも、なかなか文書で伝えられないものもあるわけで、それは、実際の運用を通じて伝える場を作りたいですね。


宇宙研ロビー、「はやぶさ実物大モデル」前に立つ白川
JAXA相模原キャンパス宇宙研究所のロビーには「はやぶさ実物大モデル」が置いてある。関係者は時折、その傍らで、じっとモデルを見つめる白川に出会うことがあるという。
「はやぶさの姿勢を変える時など、この模型を見ながら実物がこう動くというイメージを確認するんです」

2010年3月末現在、日本から見ると、「はやぶさ」は午後3時に東の地平から上り、夜中に西の地平に没する位置にあり、まっすぐ地球に向かってきている。
それは白川の勤務時間と一致する。

白川と「はやぶさ」の対話は、地球突入数時間前に帰還カプセルが本体から分離されるまで続く。
「天」の彼方にいる探査機と、「地」との橋渡し役として。





はやぶさ関連笑ってしまうぐらい情けないニュース

宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還したことを受け、菅首相や閣僚から15日、民主党政権が事業仕分けなどで大幅削減した後継機「はやぶさ2」の開発予算拡充に前向きな発言が相次いだ。

 後継機の予算は、自民党政権当時の2010年度予算案概算要求額が17億円だったが、鳩山政権発足後の見直しで5000万円となった。事業仕分けでは「コスト削減の努力をすべき」などと判定された結果、3000万円にまで削り込まれた。

 しかし、菅首相は15日の参院代表質問で「今回の実績をふまえ、開発経費について必要な手当てをできるように配慮をしたい」と表明。同機構を所管する川端文部科学相も閣議後の記者会見で、「(予算削減は)『はやぶさ』の結果を見ながら考えようということだった」と釈明したうえで、「非常に大きな成果を上げたので、それを踏まえて考えたい」と述べた。事業仕分けで「仕分け人」を務めた蓮舫行政刷新相は「私は宇宙関連に関して直接担当していたわけではない。仕分け結果を何が何でも守るというべきものではない」と語った。

 ただ、こうした対応は野党側の批判を招いている。

 15日の参院代表質問で自民党の西田昌司氏は、蓮舫氏が事業仕分けの際に次世代スーパーコンピューター開発について、「(世界)2位じゃだめなんですか」と発言したことを念頭に、「技術力の開発を『なぜ2番ではいけないのか』と切り捨てたのが民主党政権だ」と指摘した。

 蓮舫氏は「発言の一部、一言だけを切り取って仕分けを語られている」と反論したが、後継機の予算削減には直接触れず、西田氏は再質問で「答弁になっていない」と厳しく批判した。